COLUMNコラム
創業家一族の公私混同、メスを入れたら追放された星野リゾート代表/「ファミリー企業あるある」を乗り越えた事業承継の舞台裏~星野佳路代表インタビュー【前編】
後継者難による企業の廃業が、日本経済の大きな問題となっている。その多くが、中小企業かつファミリー企業だ。そんな中、リゾートホテルを国内外に展開する星野リゾート(長野県軽井沢町)の星野代表は、30年以上前、身内の創業家一族からいったん追放されながらも会社を承継した。日本経済が直面する「事業承継」を乗り越え、リゾート企業として成功した星野氏に、当時の経緯や舞台裏を聞いた。
目次
「うちの孫です」ではなく「4代目です」と紹介された幼少期
日本企業の99%以上は中小企業で、その大半はファミリービジネス(同族企業)だ。創業者の子、孫、ひ孫……と、次の世代にバトンを渡すのが自然な流れ。先代から事業を引き継いだ経営者の多くは「子どものころから、自分が後継者になる」という意識がある。星野氏も同様だったという。
「軽井沢というこぢんまりした街で生まれ育ったこともあり、星野温泉旅館(現:星野リゾート)の2代目だった祖父に連れられ、いろいろな方に紹介されるのが常でした。祖父はいつも『孫の佳路です』ではなく『4代目です』と紹介されます。物心ついた頃から『僕は4代目になるんだな』と理解していました」
誰もが顧客や取引先になり得るからこそ、早いうちから後継者の顔見せをしていた面もあるが、「事業承継というゴールに向かって、幼いころから創業家の一員であるという意識を持たせる」という先代の狙いもあっただろう。
子や孫が成長して、別の道を望むかもしれない。だが、あらかじめ「ゆくゆくは継いでほしい」という意思表示をしておけば、本人も希望を言い出しやすくなる。
修行はアメリカ、経営とスポーツに見いだした共通点
経営には「修行期間」を設けることも重要だ。星野氏は、慶應義塾大経済学部を卒業後、世界で最も有名な「ホテルマネージメント」として知られる米国コーネル大学ホテル経営大学院修士課程を修了した。「後を継ぐからには、最高の環境で学ばなければ」という思いがあったという。
「経済学部を卒業したものの、体育会の活動に夢中だったので、経済を突き詰めたという手ごたえはありませんでした。『まずい、このままでは経営なんてとてもできない』と考えて、コーネル大学で学ぶことを決めました」
1986年、星野氏はコーネル大学修士課程を修了し、「経営はスポーツと似ている」という気づきを得る。
「経営も、スポーツと同様、理論があります。世界中の教授たちが書いた論文には、『こうすれば成功できますよ』という経営のノウハウが明快に書いてあります。理論を身につければ、優秀な経営者になれるのではないか――。これこそが留学時代の最大の発見だと思っています」
「持論」と「理論」の違いだ。成功した経営者は数多くいるが、その人の持論にならった他の経営者が同様の成果を出せるとは限らない。一方、研究を尽くした理論は普遍的なものと言えるだろう。
経営一族の既得権益を正そうとしたら、家業から追放
帰国後、星野氏は星野リゾートに入社したが、社内の重大な問題に直面する。
「会社の公私混同体質です。会社の資産と経営一族の資産がごちゃ混ぜになってしまっていました。これは日本中どこでも、若い経営者が一番苦労する課題ではないでしょうか」
ファミリービジネスにおいて、しばしば見られる課題だ。「既得権益を得てきた経営一族」と「自分が貢献した分のリターンのみ得られるのが当然と考える若い経営者」との衝突が生じる。
星野氏は、身内である経営一族に対して「きちんと線引きをしないといい人材は集まらないし、企業の成長に直結する」と提言する。しかし、猛烈な反発を受け、わずか半年で辞めさせられてしまう。時はバブル経済真っ盛り、1989年のことだった。
星野リゾート
1914年、軽井沢に「星野温泉旅館」を創業。1951年、株式会社星野温泉を設立し、1995年に星野リゾートに名称を変更した。5つのサブブランドを中心に国内外でリゾートホテルやスキー場などを手掛ける。
【この記事の後篇】創業家から追放され2年、星野リゾート代表の「ギリギリ」の復帰/「中小企業の事業承継は、日本経済のカギを握っている」~星野佳路代表インタビュー
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