COLUMNコラム
みんな使った三菱鉛筆の高級鉛筆「uni」愛され66年 「お前が社長になれると思うな」突き放された老舗の6代目
三菱鉛筆の日本人なら誰もが手にしたことがある鉛筆「uni」は、今年で誕生66年を迎えます。三菱グループに属する会社だと思われがちですが、実は無関係の老舗筆記具メーカ-「三菱鉛筆」が作っています。三菱鉛筆を2020年に41歳で承継した6代目・数原滋彦社長は、先代の父から「会社は数原家のものじゃない。お前が社長になれると思うなよ」と言われていました。しかし、2022年度は過去最高売上げを達成し、今年3月に独高級筆記具の「LAMY」を連結子会社化するなど、手腕を発揮しています。どのように会社を継いだのでしょうか。
目次
鉛筆「uni」はどうしてあの色?
「私たちが名刺を渡すと、ほとんどの人が『持ってますよ』『使ってました』って言ってくれるんですね」。数原氏が言うように、鉛筆「uni」を見たことがない人は珍しいでしょう。
この鉛筆が生まれたのは、1958年。当時、「世界に負けない鉛筆を」というコンセプトで開発されました。色の候補は、紫色など多数あったといいます。
「絶対に物まねと言われないよう」に、誰も使ったことがない色を探究した結果、日本の伝統色であるえび茶色と高級感のあるワインレッドを掛け合わせた「uni(ユニ)色」と呼ばれるカラーが選ばれたといいます。
元々、三菱鉛筆のルーツは1887年創業の眞崎鉛筆製造所です。眞崎鉛筆が手がけた鉛筆は、品質の高さから逓信省で使われることになりました。このとき、眞崎家の家紋が「三鱗(みつうろこ)」だったため、三菱鉛筆のロゴに採用されました。あの三菱グループとは全く関係ありません。
ロングセラーの秘訣は、研究開発に投資する伝統
三菱鉛筆は、鉛筆の他にボールペン「ジェットストリーム」、マーカー「ポスカ」など多数のロングセラーを持っています。ヒット商品には、役員が「売れない」と批判したものも多いですが、現場や開発陣の緻密な研究やマーケット分析などで、役員の苦言を乗り越えられる文化があるといいます。
なぜ、こうしたロングセラーを生み出せるのでしょうか。数原氏は「うちは、意識的に研究開発への投資をしています」と語ります。決まったルールはないですが、毎年、売上高の5%程度を研究開発費に充てているといいます。
三菱鉛筆は、先々代の祖父、先代の父も、研究開発を重視してきました。こうした伝統は今も引き継がれています。
「お前が社長になれると思うなよ」
数原氏は、三菱鉛筆の社長に就任する前に、父に何度か言われた言葉があります。「会社は、数原家のものじゃないぞ。だから、お前は別に社長になれると思うなよ」。
数原氏は慶応大卒業後、野村総研に入社します。祖父や父がいる三菱鉛筆のおかげで、学校に行けたと思っていたので、何らかの役に立ちたいとは思っていました。
一方で、三菱鉛筆に入社することになっても、先代や先々代と同じ道を進んでもしょうがないから、「外の会社を勉強して、違う軸で勝負したい」とも思っていたといいます。
評価するのは数原家の人間じゃない
数原氏は、4年間を野村総研で過ごしました。しかし、ある日、当時社長であった父から「会社(三菱鉛筆)に入るなら、そろそろじゃないか」と言われ、2005年に三菱鉛筆に入社します。
しかし、数原氏は「社長になれると思うな」という、父が言った突き放された言葉がひっかかっていました。真意は何だったのでしょうか。会長である父・英一郎氏は「後継について、評価をするのは数原家の人間ではない。社員であり、世間だ。だから人一倍努力しろという思いがあった」と明かします。
一方で、英一郎氏は「そんな言葉を言った記憶はないな」とも付け加えた。数原氏は「互いにもっと色んなキャッチボールをしていたから、強く記憶に残る言葉のポイントは違うのかもしれないですね」と振り返りました。
三菱鉛筆株式会社
1887年(明治20年)、東京市四谷区内藤新宿1番地にて創業。1901年、逓信省(現 総務省)へ初めての国産鉛筆(局用1号・2号・3号)を納入。1958年、高級鉛筆「ユニ」(当初4H~4B)発売。2020年に数原滋彦氏が6代目代表取締役社長に就任。第32回日本文具大賞2023にて「uni 詰替用」がグランプリを、ほか3商品で2023年度グッドデザイン賞を受賞するなど、受賞歴多数。
※こちらの記事は追記・修正をし、2024年3月29日に再度公開しました。
【この記事の続き】デジタル化が進んでも「三菱鉛筆」が過去最高売上高を達成した理由 「自分は弱いって知ってますから」老舗の6代目
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