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病魔に倒れ、ひらがなが分からなくなった「鎌倉のカレー女王」 それでもコロナ禍で売り上げを伸ばす手腕とは

主力の「鎌倉カレー」をはじめとして、時代のニーズに応える先進的な商品開発でヒット商品を連発する、カレールーなどの製造・販売会社「エム・トゥ・エム」。現社長の伊藤眞代(まこ)氏(54)は、28歳で倒産寸前だった家業を父から承継し、業績をV字回復させて「鎌倉のカレー女王」と呼ばれるまでになった。しかし、47歳で突然病魔に襲われ、平仮名や数字の大小が分からないという重い後遺症を負った。それでも、社長としての歩みを続ける伊藤氏に、社長就任後の軌跡と今後の展望を聞いた。

業績好調だったのに…思わぬ悲劇

−−−−事業承継をしてからの経緯を教えてください。

1億5000万円の借金を抱え、自宅を売却するというマイナスからのスタートでした。とにかく負債を減らすために新規開拓の営業を必死にやり、社長就任から1年間でユニオンさん、オリンピックさん、成城石井さんと、3つのチェーンスーパーとの契約が決まりました。

専務であり工場長を務める弟も、商品開発などで結果を出し、従業員全員が会社のために力を尽くしてくれたと思います。

私と弟は、私が生保レディをやっていたときの貯金を食いつぶしながら、3年間無給でがむしゃらに走り続けました。結果、3年間で借金を返すことができて、私と弟の姿が従業員に伝わったのか、ようやく社長として認められるようになっていきました。

−−−それからは、事業は順調だったのでしょうか?

会社の業績が上がっていくと、工場も忙しくなります。すると、従業員同士の揉めごとが増え、彼らの愚痴が私に上がってくるわけです。

ストレスが溜まり、寝られなくなって、お酒に逃げてしまいました。いくら飲んでも2〜3時間しか寝られなかった。そして47歳のとき、脳梗塞になったのです。

3日間生死をさまよい、一命はとりとめたのですが、言語や手足のしびれなど重い後遺症が残りました。漢字や英語、数字は理解できても、ひらがなとカタカナが理解できないのです。

たとえば動物園の絵を見ても、「Zoo」という言葉しか出てこない。数字なら、小さい単位ほど違いを認識できず、500円と4000万円のどちらが大きいかがわかりません。これは今も続いています。

だから得意だったはずのしゃべりを武器とした営業ができなくなり、自殺を考えたことも一度や二度じゃありません。

−−−−「社長交代」という状況にはならなかったのでしょうか。

幸いなことに、回復の見込みが一定あったため、交代という話にはなりませんでした。社長業は1年間お休みしましたが、復帰しています。

−−−−非常に厳しい状態から社長として復活できたのは、なぜでしょうか?

リハビリとして、散歩がてら御朱印巡りを始めたある日、鎌倉にある建長寺の半僧坊という小高い山を登ったとき、ふと上を見ると、空があまりに大きく海のように深かったんです。その空を見たら、「私の病気なんて小さいことだな」と考えるようになりました。

また、入院中、過去を振り返ると、弟に対する気づきがありました。私と弟は上下関係がはっきりしていて、私は弟へのあたりがきつかったんです。実際、仕事上の意見の対立があっても決して譲らないし、かなりピリピリした態度で接していました。

退院後、弟に「ごめんなさい」としっかり謝罪しました。今は一緒に食事を楽しむなど、良い関係になれたと思います。

コロナ禍、業績がアップした理由は世相

−−−−近年もコロナ禍にありながら業績が伸び、年間売上高は2億5千万円に達していますが、要因は何でしょうか?

コロナ禍の外出自粛期間中、「外食できない分、普段よりちょっと良いものを食べよう」となった人が多くいたことが大きいと思います。当社の、ひと味違う「カレールー」を手に取ってくれた人たちが、リピートしてくれているようです。

また、コロナ禍以降に、消費者の健康志向が高まったことも大きいです。ニーズに合わせて、グルテンフリーカレーや薬膳カレーの発売を始めました。

薬膳カレーは、「3日で開発して!」という私の無茶ぶりに弟が見事に応えてくれて完成した商品です。これは現在の当社の10種類のカレールーのうち、売り上げシェア率23%を占めるヒット商品となりました。

−−−−これからの経営戦略を聞かせてください。

レトルト商品の開発も積極的にやっていきたいと考えています。それと海外展開ですね。今、日本食は海外からすごく注目を集めています。とくに海外は健康志向の強い方が多いので、チャンスがあればどんどん展開していくつもりです。すでにアメリカやイギリス、フランス、台湾などの国で展示会を開催しています。

あとは、当社のルーツであるレストラン「太平洋」を復活させたいですね。鎌倉はインバウンドの影響で、地価や物価が高くなって苦戦していますが、3年以内に実現したいと考えています。

−−−−将来の事業承継についてビジョンはありますか?

いずれ私が会長になり、社長を弟に任せたいのですが、若い人材がいないと会社を成長させていくことはできません。だからいずれは、今は別の会社に勤務している24歳の長男に承継したいと思っています。本人も継ぐつもりがあるようで、子どもの頃から料理が好きでもあるので、新たなヒット商品を生み出してくれるかと思います。

私の家の歴史を遡ると、江戸時代は寿司屋や江戸城に魚を卸しており、代々ずっと食に関わってきた家系です。時代のニーズに合わせて先進的にチャレンジすることももちろん大切ですが、エム・トゥ・エムの根底にあるのは黒田家の血。先祖が歩んできた歴史をこれからも受け継いでいってほしいですね。

そして承継した後は、従業員を大切にしてほしいと思います。消費者も大切ですが、消費者を喜ばせるには、まず有能な従業員が必要です。だから、従業員は一番大切にしなければいけません。

もちろん、望まない承継をするつもりはありません。子どもには子どもの人生がありますから、自分の意思で自由に人生を歩んでほしいと考えています。

伊藤眞代さんプロフィール

伊藤眞代(いとう・まこ)

1970年、神奈川県鎌倉市生まれ。保険会社の営業職として活躍していたが、1億5000万円の負債を抱えて経営不振に陥った家業を救うべく、28歳の若さで代表取締役に就任。「老舗の洋食屋の味をご家庭で味わっていただきたい」という思いと、安心・安全な商品開発で多くのヒット商品を世に送り出す。業績を急回復させ、2021年に鎌倉の地に自社工場を建設し、「鎌倉のカレー女王」と呼ばれるようになる。

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賢者の選択サクセッション編集部

日本の社会課題である事業承継問題を解決するため、ビジネスを創り・受け継ぐ立場の事例から「事業創継」の在り方を探る事業承継総合メディア「賢者の選択サクセッション」。事業創継を成し遂げた“賢者”と共に考えるテレビ番組「賢者の選択サクセッション」も放送中。

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