COLUMNコラム
アメリカ人もびっくり、「私の国が生まれる前からあるのか!」 創業325年の鰹節専門店、海外で躍進する理由とは
創業1699(元禄12)年という鰹節専門店「にんべん」(東京都中央区)。一つ一つ丁寧に作られた鰹節と、そこから生まれる調味料や加工品は、国内だけでなく海外でも高い評価を受けている。鰹節という祖業を守り抜く一方で、洋食にも合わせた多彩な商品や、新業態へのチャレンジを続けるにんべんの「伝統と革新」の経営について、13代当主であり、第7代社長の髙津伊兵衛氏に話を聞いた。
目次
「つゆ」も「だし」も変化し続けている
――社長就任以降、2010 年に「日本橋だし場」、2014 年に「日本橋だし場 はなれ」を出店、 2019 年には弁当事業「日本橋だし場 OBENTO」、2020 年には総菜事業「一汁旬菜 日本橋だし場」を新たに始めるなど、次々に新規事業を始めています。
髙津 より多くの人に鰹節やだしの味に親しんでいただくことを念頭に置いて、新しい商品や業態の開発にチャレンジしました。
「日本橋だし場」でドリンクとしてだしを提供するスタイルは、本社店舗の移転に伴う仮店舗としての位置づけであくまで実験的に行ったものでした。
それが予想以上に好評だったことを受けて、だしの味をもっと多くの人に身近に感じていただくための事業展開に力を入れてきました。
――同時に主力商品「つゆの素」のリニューアル、さらに「アクアパッツァ」など洋食の総菜も作るなど、和食ジャンルを超えるチャレンジにも踏み切りました。
髙津 「つゆの素」は当社の主力商品ですが、時代ごとに消費者が好む味や嗜好は変わります。今後も主力商品であり続けるために、味や風味、仕様を変えることを行ってまいりました。同時にデザインの見直しも行いました。
総菜事業は、女性の社会進出が進み、家庭での調理機会がますます減っていくため、総菜や中食へのニーズが高まる予想から手がけたものです。
日本人の食事スタイルを考えた時に、和食しか食べない人はほとんどいません。大半の人が洋食に親しむ中、和食というジャンルにこだわらず、日本の食卓のあり方に沿った商品開発をしてきたのです。
鰹節そのものを提供するだけでなく、料理や総菜に形を変えることで、お客様と接する機会を増やすよう見直しました。
世界市場へ乗り出す
――社長に就任されて以後、海外展開にも力を入れています。背景には世界的な日本食ブームがあったのでしょうか。たのでしょうか。
髙津 日本食ブームに乗ろうとしてはじめたことではありません。そもそも日本食ブームは外食が中心で、海外の家庭で日本食が親しまれるようになったかといえば、まだまだだと思います。短期間に市場が急拡大することはないと思いますが、伸びる余地は大きいと考えています。
ただ、2013年に「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録されたことで、世界が日本食に注目するようになったのは事実です。多くの国々で日本食が食べられるようになれば、鰹節の需要は徐々に増えていくはず。ニーズに応えたい思いはあります。
――海外での鰹節の評判はどのようなものでしょうか。
髙津 海外ではまだまだ鰹節そのものの認知度が低く、当社はこれまで海外への展開を商社に任せきりでした。しかし、商品を製造・販売元が自ら伝えることは使命と考え、今は社員が各国を訪れるようになっています。
海外売上の約70%がアメリカです。アメリカで「にんべんは300年の歴史がある」という説明をすると驚かれます。「私の国が生まれる前からあったのですね」と強烈な印象を持ってもらえます。
総売上高のうち、海外売上比率は1%だったのが、いまは2%を超え、着実に成長しています。
――食品の海外輸出は規制というハードルもありそうですね。
髙津 EU向けの輸出は課題です。EUでは、食品に関する厳しい管理基準があり、水揚げする港湾施設や船舶なども含まれているため、製造元の努力だけでは対処できません。さらに「燻す」製品の成分に基準があり、現状の鰹節製品はクリアできません。
このため、スペインに鰹節の生産拠点を設け、ヨーロッパで獲れたカツオで鰹節を作っている会社があります。その鰹節を日本に輸入して加工、製品化した調味料等を再びEUに輸出するという、非常にフードマイレージのかかる生産形態になっています。
ただ、鰹節やだしはアジア圏の人たちの味覚、嗜好に近いので、当面はアメリカとアジア圏に力を入れていくことになりそうです。
何を守り、何を変えるのか
――江戸時代から培われてきた伝統のうち、守るべきものと、変革すべきものを、どう分けていますか。
髙津 当社は鰹節専門店です。当然、鰹節を軸にした事業経営を行うというのはブレないところです。ただ、その時代の食のスタイルに応じて提供していく努力は欠かせません。
鰹節は和食にしか使えないものではなく、洋食にも使えます。ただ、鰹節やだしの魅力を感じてもらえる商品ということは大切にしています。また、鰹節をテーマにしたメニューを振舞うものであれば、いろいろな業態にチャレンジしていけばいいと思っています。
鰹節づくりは、今も昔ながらの製法で、一つ一つ丁寧に製造しています。鰹節の品質には、一切の妥協を許しません。そうした伝統は受け継いでいくべきです。
――今後も鰹節を軸にした企業経営を貫く上で、何か課題はありますか。
髙津 現時点での課題は、鰹節の原材料であるカツオの価格が急騰していることから、小売価格にも影響が出ることです。日本近海におけるカツオ漁の水揚げ量は減っており、鰹節づくりの環境も変わっています。
総菜や加工食品、あるいは外食分野などで鰹節を利用した商品、メニューを提供することは、極端な「鰹節」依存に陥らないためのリスクヘッジにもなると考えています。
――今後の事業展開について教えてください。
髙津 江戸時代、幕府や藩からの用命が多かった中で、徳川の世が終わり、維新を迎えた当主は、店を守るために努力をしたのだと思います。
また、関東大震災で日本橋の魚河岸が壊滅し、築地に移った後、日本橋が閑散とした街になった頃の当主にも苦労があったことでしょう。
13代の私は、家庭の食卓で鰹節を使う機会が減っている中、日本橋に人の賑わいが戻ってきた時代を受け持っています。私に課された役目は、日本橋から世界に向けて鰹節やだしの文化を発信し、使っていただける機会を創っていくことだと思っています。
(文・構成/大島七々三)
株式会社にんべん
13代当主 代表取締役社長 髙津伊兵衛
1970年、東京生まれ。江戸時代より続く鰹節を商う長男として生まれる。93年、青山学院大学を卒業後、株式会社髙島屋に入社、横浜店勤務。96年、株式会社にんべん入社、2009年、同社代表取締役社長に就任、現在にいたる。2020年2月、13代髙津伊兵衛を襲名。07年から日本橋室町二丁目町会長を11年務め、現在は副会長。一般社団法人日本鰹節協会会長理事、NPO法人日本料理アカデミー正会員。
【この記事の前編】当主は戸籍も変え、代々「髙津伊兵衛」を名乗る 320年以上続く鰹節専門店は、どうやって受け継がれているのか
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