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コロナ禍で利益5倍、全国1000店を達成した「子育てインフラ」西松屋/姫路の本社から出ない、東大卒3代目社長を育てた「社長の仮免」とは

おむつにベビーカー、衣料品までそろう子育て世代の味方「西松屋」(本社・兵庫県姫路市)。店舗数は全国1000店を超え、2022年2月期の決算では過去最高益を記録した。そんな西松屋を率いるのは、3代目社長の大村浩一(こういち)氏だ。2020年、32歳の若さで父から事業を引き継いだ。成功の裏には、先代の父が1年半かけて行った“社長育成”プロジェクトがあった。

西松屋の成り立ち

西松屋は1956年、明治から続く呉服店の暖簾分けという形で、ベビー用品店として創業した。

その名を全国にとどろかせたのは、二代目の大村禎史(よしふみ)氏だ。2000年に社長に就任後、20年間で店舗数を800店以上増やし、北海道から石垣島まで店舗を持つ巨大チェーンに成長させた。

二代目が徹底した「店舗の標準化」

二代目の禎史氏が徹底的に取り組んだのは「店舗の標準化」。そのポイントは以下の4点だ。

1つ目は、地価の比較的安い郊外に、大店舗を出店したこと。

2つ目は、ベビーカーがすれ違える広い通路を確保したこと。通路にはみ出さないように商品を並べ、子連れの客が買い物しやすい導線を作り上げた。

3つ目は、セルフサービスを実現したこと。たとえば、高いところの商品は“商品取り棒”を使うことで、店員の助けなしに手に取ることができる。

4つ目は、1店舗あたりの従業員数を2~3人としたこと。店員に干渉されることなく、客が買い物に集中できるようにした。

また、プライベートブランドの開発を加速。折りたたむときに指を挟まないベビーカーなど、手頃な価格だけでなく、機能性も兼ね備えた商品を次々と生み出した。

3代目の浩一氏は「姫路本社に近い店舗を見れば、全国の店舗で起こっている課題が分かる」と語る。標準化を徹底すれば、一つひとつの店舗に足を運ばずとも現場のリアルが見えてくるという。

小学生の頃から「後継ぎ」を意識

1987年に姫路で生まれた浩一氏は、西松屋チェーンの成長を間近で見ながら育った。「明言されたことはなかったものの、いずれ自分が会社を継ぐんだろうという意識は小学生の頃からあった」。

2006年、東京大学の文科Ⅰ類に入学し、法学部を卒業した。経営学ではなく法学を選んだ理由は「トップを目指したい」という考えだった。

一番であれば、規模のメリットが享受できるし、お客さまへの貢献度も一番になれる――。自分のためにも会社のためにも、常に一番を目指す姿勢が重要だと語る。

大学を卒業した浩一氏は、みずほ銀行に入行した。銀行は、業務を通して経営に必要な財務の知識を学べる。「いつか西松屋を継ぐために、修行時代に何を学ぶべきか」という視点で就職先を選んだ。

社長補佐室長で1年半「社長業」を学ぶ

浩一氏は2014年、26歳で西松屋チェーンに入社した。もちろん浩一氏も先代も、事業承継を念頭に置いていた。

ところが、この段階でも先代から「継いでほしい」と言う言葉はなかった。全国に多くの顧客やステークホルダーがいる会社では、「社長の息子だから」「東大卒だから」が社長を任せる理由にはならないと、自分も父もよく分かっていた……浩一氏はそう語る。

入社後は、店舗運営の現場や店長の統括を担当後、法務やIRなど、経営に必要な経験を積んだ。そして社長就任の前年となる2019年には、浩一氏のために新設されたポスト「社長補佐室長」に就いた。

社長補佐室長の仕事は「社長業を学ぶこと」。先代が部下と打ち合わせをしたり、取引先と面談したりするときに同席し、そのやり取りをつぶさに観察した。

やがて、打ち合わせや面談は、浩一氏に任されるようになった。このときのことを、浩一氏は自動車教習所にたとえる。先代が助手席、浩一氏が運転席に座り、先代は浩一氏の“運転”を見守る――。こうした「仮免」が1年半にわたって続いた。

背景には「社長業務ができない人間に社長は任せられないが、やらせてみないと適性はわからない。
いったん息子に任せて、実績が出るかどうか見てみよう」という、先代の考えがあったようだ。

父との「阿吽の呼吸」の秘密

また、先代は、早い段階から浩一氏にどんどん仕事を任せ、口出しせずにいた。浩一氏は、仕事で喧嘩や言い合いになった記憶はほとんどない。

理由は、目指すべき方向が同じだからだ。これまでと違うことをやってもいい。それが会社の発展につながり、顧客のためになるなら、やらせてみようじゃないか――。父にはそんな想いがあったのだろうと、浩一氏は振り返る。

1年半の社長補佐室長の後、浩一氏は2020年に西松屋チェーンの社長に就任した。十分な引き継ぎ期間を経て、三代目への事業承継に成功した西松屋チェーン。ところがこのとき、上場以来ともいえる危機に陥っていた。

店舗数と売上高は順調だったが、2017年を境に利益が激減。浩一氏が社長に就任する直前、2020年2月期の利益率が2%未満に減少し、まさに赤字ギリギリの状態だった。

継いだら赤字ギリギリ、改革へ

2020年8月、赤字ギリギリの状態で社長に就任した浩一氏は、社長補佐室長の時から、状況を打破するために改革に乗り出していた。

まず、利益率低迷の原因を探った。すると、利益を圧迫する原因となっていたのは、商品の仕入れだった。

当時、売上目標は厳格に決まっている一方、在庫の仕入れ量は各担当に一任されていた。売上目標の達成を重視するあまり、担当者が大量の商品を仕入れていた。

結果、大量に売れ残った商品を安売りすることにつながり、利益減につながっていた。

「値下げロス」を解消する仕組みづくり

安売りによる利益ロスを最小限にするには、過剰な仕入れを防がなくてはならない。浩一氏は、トップダウンで仕入れ額に上限枠を設けた。

結果はすぐに現れた。

赤字寸前から、利益は一気に5倍に。その後も順調に成長を続けている。

コロナ禍、売上100億円以上アップ

社長就任の翌年、2021年2月期は利益が前年同期の23億円から123億円へと急増。売上は同じく1429億円から1594億円へと、100億円以上の増加を実現した。

しかもこの時期は、コロナ禍で小売業界が大打撃を受けていた頃。それでも西松屋チェーンは、来店客が増えていたという。

浩一氏はその理由を3つ挙げる。

1つ目は、子供服だけでなく、おむつなど、生活必需品を扱っていること。

2つ目は、広々とした店舗で「密」になる心配がないこと。

3つ目は、1店舗あたりの従業員が2~3人と少なく、安心して買い物ができること

安心・安全に買い物ができるだけでなく、良質で安価な商品が豊富にそろって買い物がしやすい――顧客の支持が厚いのは当然とも言えた。

「お客さまにとって一番便利な店舗や商品開発を目指してきた、20年間以上の取り組みをあらためて評価していただけたのだと思います。社長就任前から行っていた改革の成果も現れました」と浩一氏は振り返る。

子育ての「社会インフラ」をめざして

これまで郊外中心に展開してきた西松屋チェーンは今、アクセスの良い都市型店舗の出店を加速させている。

都市部を中心に新規出店を続け、2025年2月期に1200店舗という目標を掲げる。少子化とはいえ、子供服のマーケットは約1兆円。現在約1600億円の西松屋チェーンは、まだまだシェアを伸ばしていける――。

「子育てになくてはならない、社会インフラとしての西松屋」を目指し、若き社長の挑戦は続く。

まとめ

赤字ギリギリの状態で会社を引き継ぎ、驚異的な成功を遂げた西松屋チェーン。

その背景には、的確な改革を行った浩一氏の手腕と熱い想いがありました。

初代がつくりあげ、先代が大きくした会社を、三代目がさらに愛されるものにする――。事業承継のお手本として、ぜひ注目していただきたい事例です。

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賢者の選択 サクセッション編集部

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