COLUMNコラム
「二代目×息子」が感じた、事業承継の難しさ ――父との対立を乗り越えた先にあるもの/髙田旭人インタビュー

誰もが知る「ジャパネットたかた」。その経営をカリスマ創業者である実父・髙田明氏から引き継ぎ、売上をどんどん拡大させているのが、2代目の髙田旭人(あきと)氏です。旭人氏はなぜ事業承継を成功させることができたのか――。本記事では、その秘訣を解説します。
目次
幼いころから「後を継ぎたい」という思いがあった

2015年、カリスマ創業者、髙田明氏の後継者になったのが、当時35歳の長男、髙田旭人氏でした。
カリスマ経営からの脱却を目指す若き2代目のもと、ジャパネットホールディングスは大躍進を続け、2021年には過去最高売上を更新。地元長崎にスタジアムを中心とした複合施設を建設して地域創生に取り組むなど、大胆な経営手腕で注目されています。
そんな旭人氏が生まれ育ったのは長崎県・佐世保市。通信販売事業がスタートした当時、24時間対応のコールセンターはなく、19時から21時は自宅に注文の電話が転送され、母親(明氏の妻)が対応する仕組みでした。
当時の髙田家には「テレビを見ているときも、電話が鳴ったら音を消す」というルールがあったそう。小学生の旭人氏は「テレビを観たいけど、電話が鳴ったらお父さんの会社の売上が上がるんだ」という感覚だったといいます。
旭人氏は幼い頃から後継ぎになることを意識していました。両親から頼まれたことは一度もないにもかかわらず、「両親が喜ぶだろう」と考え、「お父さんの跡を継ぎたい」と自ら宣言しました。
そこからは「継ぐために何をするか」という発想でさまざまな選択をします。「後を継いだら、僕が何を言っても、社長の息子だから聞き入れてもらえるだろうけどそれは嫌だ。きちんとした、社員がついてくる社長になりたい」と考えて東京大学に進学したのだといいます。
最初の就職先に証券会社を選んだのも、「親の会社に戻ることを見据えて、日本一営業が厳しいところで働こう」という想いがあったから。「入り口がきつかったら後が楽だろう」と考え、証券会社に就職することを決めました。ジャパネットに入社したのは2003年のこと。顧客情報が約51万人分流出した事件がきっかけでした。旭人氏の専攻が数学だったことから、事件調査委員会のメンバーとして、分析作業に奔走します。
父と対立続きだった専務・副社長時代

入社当初は社長室に所属し、会社の状態を把握することに。1年後にバイヤーチームとメディアチームを合わせた部隊の責任者となりました。
その後、副社長を務めていた母からの提案で「あなたは実績がないから、一人で離れて結果を出しなさい」とコールセンターと物流センターを担当することになり、福岡拠点の責任者を任されます。
当時のコールセンターは、配属された社員のうち3分の2が1年以内に離職する職場だったことから、7年かけて組織を立て直しました。また、愛知県に物流センターを立ち上げ、配送業者との協力関係の構築にも努めます。
そこには「カリスマ経営者についていくだけの社員より、一人ひとりの社員が考え、自分の意思で動いたほうが何倍も成果が出るのでは」という仮説がありました。そして、コールセンターと物流センターの取り組みを通して、この仮説が正しいことを確信したといいます。「カリスマ経営からの脱却」は、このときすでに旭人氏の頭にあったのです。
このころ、明氏とは常に「バチバチだった」そう。会社のために意見を言う旭人氏に「そんなに言うならおまえが社長をやればいいだろう」と言われたことも、何度もありました。
家電エコポイント制度の反動によって売り上げが大きく落ち込んだ2011年、旭人氏は本社に戻り、販売まわりの担当に着任。
このとき明氏は「翌年、過去最高益を達成できなければ社長をやめる」とメディアに宣言します。そこで旭人氏が社員を50人引き連れて東京に行き、バイヤーを旭人氏、販売は明氏という「大変な組み合わせ」で過去最高益を目指すことになります。ここでも二人のやりとりは続きました。旭人氏が選んだ商品が「ダメ」と否定されることは日常茶飯事。買いつけた商品が売れなかったときには、「商品(を選んだ旭人氏)が悪いのか、売り方(を担当している明氏)が悪いのか」の闘いでした。
さらには、同じ時間帯の月・水・金の番組を明氏が、火・木を旭人氏が担当し、「どちらが優れているのか白黒つけよう」となったことも。父と子のライバル関係は長く続きました。
「チャレンジデー」という挑戦を乗り越えて

対立が頂点に達したのは「ジャパネットチャレンジデー」という企画でのこと。24時間限定で一つの商品を衝撃価格で販売するという、旭人氏発案の企画でした。
その背景には「高い家電はあまり売れないけれど、たった1日だけ安くして4年分くらい売ってしまえばいいのではないか」という、旭人氏の斬新な発想がありました。渋るメーカーを説得し、「売れ残っても返品しないから安くしてほしい」と交渉したのだといいます。
企画を提案した旭人氏と、断固反対する明氏。結論をその場にいた社員40人で多数決することになったものの、明氏についたのはたった2人。
結果としてチャレンジデーは実施されます。反対していた明氏も「やるなら全力でやる」と一生懸命テレビで紹介し、無事に成功を収めました。
父とは、人間的にリスペクトし合う関係だからうまくいった

旭人氏は、事業承継が成功した理由として「お互いに相手へのリスペクトがあったこと」を挙げます。
明氏から激しく叱咤された日も、自宅に戻ると「気にするなよ」と電話がかかってきたそう。また旭人氏自身、「陰で父の悪口を言わない」というルールを決めていたといいます。
仕事に関しては容赦なく意見を交わすものの、相手の人間性は決して否定しない――。この親子の信頼関係が、事業承継を成功に導いたのです。
まとめ

カリスマ経営を見事脱却し、若き2代目社長として、父が育ててきた会社を引き継いだ旭人氏。
事業承継が成功したのは、明氏と旭人氏の信頼関係だけでなく、2人に会社や事業、社員、商品を大切に思う気持ちがあったからでしょう。
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