COLUMNコラム
「時間が止まったようで…」かつて公衆電話を支えた町工場、JAXAから発注を受けて リアル下町ロケット企業「由紀HD」とは
昭和のインフラ、公衆電話の部品を作り続けていた町工場は、携帯電話の普及とともに業績が悪化していました。そんな町工場を父から引き継いで建て直し、JAXA(宇宙航空研究開発機構)からの発注を受けるまでに大きく成長させたのが、由紀ホールディングス(HD)代表取締役の大坪正人氏です。自らも技術者である大坪氏が「ものづくり」を受け継ぐストーリーを紹介します。
目次
「本能的に機械が好き」 でも継ぐつもりはなかった
2024年現在、グループ9社を持つ由紀HD(東京都港区)。グループ全体の売上は21年度約76億で、精密金蔵加工をはじめとして、航空機や宇宙、医療、半導体など、幅広い分野で技術力を発揮しています。
由紀HDは、大坪氏の祖父・三郎氏が1950年、神奈川県茅ヶ崎市で創業した「大坪螺子製作所」にルーツがあります。ねじやナットを作る家族経営の町工場でした。
のちに由紀精密工業と名称を変え、大坪氏の父・由男氏が経営を引き継ぎ、切削加工を中心に精密部品の製造をしてきました。社名の「由紀」は、大坪氏の祖母の名「幸枝(ゆきえ)」からとられたといいます。
家業を見ながら育った大坪氏ですが、若い頃は工場を継ぐ意志は全くありませんでした。一方で「本能的に機械は好きだった」といい、東京大学で機械工学を選び、大学院へ進みます。
「時間が止まっているよう」町工場をなんとかしたい
卒業後、3次元光造形技術で脚光を浴びていたベンチャー企業・インクスに就職し、最先端の製造技術分野で活躍しました。しかし、2006年、転機が訪れます。
ふと家業を顧みると「最先端の現場で働く自分から見ると、時間が止まっているかのようで……」。
当時、由紀精密の主力は公衆電話の部品でした。携帯電話の普及とともに、売り上げはかなり落ち込んでいました。「見放していられない、なんとかしなくては」という思いを強くし、31歳で家業に戻る決断をしました。
当時の由紀精密は、社員十数名の典型的な下請けの町工場。さまざまな先端技術を取り入れる余裕はありませんでした。
「ただ、すごく愚直に精密加工を詰めてきたので、光る技術はあったんです。公衆電話やカードリーダーの部品を作っており、信頼性は非常に高かった」。大坪氏はそれを生かそうと考えます。
町工場の部品、ついに宇宙へ
顧客アンケートの結果、由紀精密の強みはやはり「品質」。そのクオリティを武器にブランディングを進めました。大量生産はできない規模なので、小ロットで安定した品質を求められる業界にターゲットを絞ることに。狙いを定めたのは航空宇宙産業でした。
「航空機の部品は1点も作ってなかったんですが、いきなり航空宇宙展という展示会に出展しました。運良く、目の前に三菱航空機さんのブースがあり、多くの人が立ち寄ってくれるわけです(笑)」「実はまだ飛行機には参入してないのですが、こういった実績があります、航空業界で使えるものありますか…と話をして、部品の仕事に繋がり始めました」。
クオリティの高い部品を武器にした小さな町工場はやがて、JAXAからの発注を受け、2013~16年に姿勢制御ノズルの開発に取り組みました。精密加工の技術を詰め込んだノズルは、宇宙ステーション補給機「こうのとり」に搭載され、リアル「下町ロケット」として話題になりました。
とにかく情報発信、マニアックな本もヒット
大坪氏の方針は「とにかく広く情報発信して、自社の技術を知ってもらう」こと。問い合わせは、とにかく全部受注につなげる勢いで、年間数十社の新しい顧客を増やした年もありました。
由紀精密という会社の存在を「見つけてもらう」ことが大切だと、ウェブサイトにも力を入れました。「中小企業でウェブサイトに100万円かけると『高い』と考えられてしまう。でも実際、当時の由紀精密の新規顧客の8割以上がウェブサイトからの問い合わせだったんです。コスト以上の働きをしてくれるんですよね」。
2010年、大坪氏は「すぐに使える精密切削加工」という書籍も出版しました。自身がウェブサイトに載せていた切削加工のノウハウ集を出版社が見つけ、出版を打診。マニアックな分野かと思いきや、4回増刷される売れ行きとなり、海外でも翻訳されています。
リーマンショックを乗り越えて
大坪氏が家業に戻った当時、由紀精密の売上は1億数千万でした。その後ぐんぐん売上を伸ばし、2018年には6億近く、約4倍に成長させました。2008年のリーマンショックを乗り越えられたことが、手応えになったといいます。
「リーマンの時、従来顧客の売上の75パーセントを失ってしまったんです。普通ならもう終わりだと思うんですが、新規開拓に全力を尽くして、14パーセント減で乗り切った。その差分は、すべて新しい顧客からの仕事です」。
大坪氏は、自分で営業して取ってきた仕事を、自分で機械を動かして作ることもありました。「超短納期で受注したら社員に頼めないので、夜中に自分で加工して朝に納品したこともありました」。自らが技術者であることも、会社の強みになりました。
航空分野、医療分野などさまざまな分野にチャレンジした結果、翌年からは前年度を上回る売上増を続けた由紀精密。2013年、正人氏はついに社長に就任し、さらに新たなアイデアを次々に生み出していきました。
由紀ホールディングス株式会社
1950年、茅ヶ崎市本村にて大坪螺子製作所を設立。当初は、手作りの小さなねじ工場として始まる。2011年、世界最大規模の航空宇宙機器見本市であるパリ航空ショーに初出展。2017年、皇太子殿下 (今上天皇陛下) ご視察。2018年、由紀ホールディングスグループに参入。2021年、現社長永松純氏就任。創業当時から変わらぬ「ものづくり」への想いを大切に、現在も進化を続けている。
※こちらの記事は追記・修正をし、2024年4月1日に再度公開しました。
【この記事の後編】|「中小企業が連帯すれば、世界を狙える」 宇宙ステーションに自社部品を飛ばした、リアル下町ロケット企業社長の思い
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