COLUMNコラム

TOP 経営戦略 「自分の人生を歩んでいない…」一度はあきらめた家業の道 和紙の技術で自動車部品、業界シェアトップ企業の「三男」の苦悩
S経営戦略

「自分の人生を歩んでいない…」一度はあきらめた家業の道 和紙の技術で自動車部品、業界シェアトップ企業の「三男」の苦悩

約1300年前から埼玉県小川町に伝わる和紙「細川紙」。地元企業の「セキネシール工業株式会社」は、細川紙の製造法「紙すき」の技術を応用して、ガスケットといわれるシール部品を製造するメーカーだ。2024年1月に36歳の若さで会社を引き継いだ前社長の三男である関根俊直氏に、事業承継を決断するまでの葛藤を聞いた。

和紙づくりから、自動車部品メーカーへの事業転換

――セキネシール工業の歴史について教えてください。

関根 江戸末期の1860年代まで遡るのですが、私の5代前の先祖が和紙づくりや農業、養蚕業を営んでいました。会社として創業したのは、私の祖父である関根照夫の代です。「戦争が終わって洋紙がどんどんと入ってくる。これからは和紙だと儲からない」と、1946年に「関根製紙所」を設立し、事業転換を図りました。

祖父は自動車産業の発展に目を付けて、和紙づくりからガスケットの製造へと舵を切ったのです。そして1962年、「株式会社関根オイルシート製作所」を設立し、法人としてのスタートを切りました。

その頃から力を入れていたのは、営業と開発。父いわく、祖父は相当な「人たらし」だったようで、いろいろな人を頼りながら営業活動を広げて、会社を大きくしていきました。ガスケットの開発に長けた人を会社に迎え入れるために、自ら熱心に口説き落としたこともあったそうです。

その甲斐もあり、今ではガスケット材料だけに留まらず、摩擦材や断熱材などの製品も販売する部品メーカーになっています。

――ガスケットとはどういったものなのでしょうか?

関根 液体や気体の漏れを防止するために、部品の接合面に挟み込んで使うシール部品をガスケットといいます。例えば水筒やお弁当箱のフタには、ゴムパッキンが挟み込まれていますが、あれもシール部品の1つ。エンジンなどの接合部品に液体・気体の漏れ防止のため使われるものが、主にガスケットと呼ばれています。

セキネシール工業は、伝統的な和紙づくりのノウハウを活かし、比較的安価な「紙」の素材を使ってガスケットを製造しています。現在、オイルシートとビーターシートという製品は国内で約80%のトップシェアを獲得しています。

若干20歳で会社の「後継者」に指名されたが

――関根堅司前社長の三男として生まれ、後継者になるまでの経緯を教えてください。

関根 私が子どもの頃から、祖父は「次はお前に任せる」と言っていたようです。当時、活発だった私を見て、大きな期待をしてくれていたみたいです。潜在意識の中で、「自分が後を継ぐのかな」と漠然と感じて育ちました。2人の兄も「自分たちが継ぐ」という意思は幼少期からあまりなく、今は別の道へと進んでいます。

明確に「跡継ぎ」というものを意識したのは、大学の商学部で学んでいた20歳のときでした。祖父が亡くなり、その葬儀の際に父から「将来的には、お前が継いでくれないか」と告げられたのです。

祖父は人のために生きていたような人で、葬儀には1000人以上が参列し、「この人は本当に凄い人だった」と口々に言ってくれました。そのときに「私もいつかこんな人になりたい」と、後継者になることを引き受けたのです。

――大学を卒業し、どのような進路を選んだのですか?

関根 2011年に大学を卒業し、大手自動車部品メーカーに入社しました。やはり自動車業界の大会社でノウハウを学び、自分の会社に持ち帰ろうという気持ちでした。

1年目は現場研修、2年目からは生産管理の仕事を任されたのですが、次第に「このままでいいのか」と悩むようになりました。「会社を継ぐ」という責任感だけで自分のキャリアを選んだ結果、「自分の人生を歩んでいないんじゃないか」と、心が苦しくなってしまったのです。

――どのようにして、苦しい時期を乗り越えたのでしょうか。

関根 実はメーカーで働き始めて1年で、父には1度相談をしていました。泣きながら「このままの気持ちでは会社を継げない」と伝えると、父は「お前の人生なんだから、好きに決めていい」と言ってくれました。

そして、2015年に自動車部品メーカーを退職し、2016年に採用支援会社に転職しました。そこで、会社を継ぐのは一度諦めたんです。

再び家業の道へ、「当事者意識」を携えて

――事業承継を一度断念してから、2020年にセキネシール工業に入社するまでにどのような心境の変化があったのでしょうか。

関根 転職して半年後に、母親が重い病気を患ってしまったのです。そのときに「自分が会社を継ぐのが、親孝行になるのかな」と思うようになりました。しかし、また責任感だけで決断することはやめようとも考えました。

そこでふと気付いたのは、私は「後継者」について、何も知らないということでした。2018年頃からは採用支援会社で働きながら、個人的に後継者のビジネススクールに通い、後継者の話を積極的に聞くことを繰り返しました。

出会った後継者の方々の共通点は、「楽しそうに働いている」ということ。「圧倒的な当事者意識を持って、自分の人生を歩んでいる」と感じました。そこからは私自身も、同じような後継者になりたいと思えるようになっていきました。

――他の後継者との出会いが、大きな転機になったのですね。

関根 そうですね。例えば栃木にある鶏卵販売会社の後継者さんは、自分で養鶏も始めて、自社の卵をレストランやケーキ屋で商品化したりするような新規事業にも挑戦されていました。

自分でも「当事者意識」を持って、経営という仕事をしていきたい。そう考えて、2020年1月に「自分が将来の後継者だ」という意識を持った上で、セキネシール工業に入社したんです。

関根俊直氏プロフィール

セキネシール工業株式会社 代表取締役社長 関根俊直氏

1988年7月、埼玉県比企郡小川町生まれ。2011年に中央大学商学部を卒業後、アイシン精機株式会社(現在の株式会社アイシン)に入社。2016年1月に株式会社ビズリーチに転職し、営業や社内人事の仕事に携わる。2020年1月、セキネシール工業株式会社に入社し、営業、人事、社内のDX推進を担当し、2024年1月より現職。

取材・文/庄子洋行

FacebookTwitterLine

賢者の選択 サクセッション編集部

賢者の選択サクセッションでは、⽇本経済の課題解決と発展のためには、ベンチャー企業の育成と併せて、これまでの⽇本の成⻑を⽀えてきた成熟企業∕中堅‧中⼩企業における事業承継をフックとした経営資源の再構築が必要であると考えています。 ビジネスを創り継ぐ「事業創継」という新しいコンセプトを提唱し、社会課題である事業承継問題に真摯に向き合うことで、様々な事業承継のケースを発信しています。 絶対解の存在しない事業承継において、受け継いだ経営者が事業を伸ばす きっかけとなる知⾒を集約していきます。

記事一覧ページへ戻る