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「いらっしゃいませ」すら言えなかった接客下手の女性 がんに倒れた父から、日本に2軒しかない「江戸風鈴」の店舗を託されて

江戸時代と同じく、吹きガラスに手描きで一つ一つ絵付けをする伝統工芸品「江戸風鈴」。300年の歴史を誇るが、今や製造元は日本にわずか2軒しかない。そのうちの一つ、篠原風鈴本舗(東京都江戸川区)を継承しているのは、3代目の長女・篠原由香利氏(43)だ。家族の風鈴作りを見ながら育ったものの、家業を引き継ぐにはさまざまな困難や心の揺れもあった。人気アニメとコラボするなど、伝統工芸の世界に新風を巻き起こしつつある由香利氏に、爽やかな音を生み出すものづくりを引き継いだ経緯を聞いた。

家の手伝いが嫌いだった小学生時代

−−−−子供の頃から、家業を継ぐことを意識していたのですか?

継げと言われたことはありませんでした。4歳下の妹の方が「私が継ぐ」と言っていたので、じゃあ私はやらなくていいかな、と思っていました。

ただ、家の手伝いはさせられました。小学校低学年ごろは、出荷する風鈴の箱詰めや、お祭りなどで風鈴を売る手伝い。小学校高学年になると、花びらの真ん中を黄色に塗る程度の簡単な絵付けもするようになりました。

でも私は、お手伝いは嫌いでしたね。遊びたい夏休みに限って家は忙しかったので……。

−−−−大学は、美術系ではなく文学部に進学されたのですね。

家の仕事をすることは全く考えていなかったので、ガラスや絵の勉強をしようとも思いませんでした。むしろ対照的な、午前9時〜午後5時で帰れて、土日も休めるような仕事に就きたかったんです。

それなら普通の学部に進んだ方がいいということで、興味のある文学部に進学しました。

−−−−しかし、大学卒業後は、篠原風鈴本舗に入社します。どういった心境の変化があったのでしょうか?

私はちょうど、就職氷河期まっただ中の世代なんです。周りは50社、100社受けた話が当たり前でした。私もいくつか説明会や入社試験に臨んだのですが、一次は受かっても面接で落ちるなど、非常に苦労しました。

その頃、自分が会社の中で1つの歯車になって、どんな仕事をするのか、どうも具体的なイメージがわかなくて。そう考えたときに、「風鈴を作る」だったらすんなり腑に落ちるなと、ふと思ったんです。

作ったものを「売る」の部分が頭になかった

−−−−いざ社員として入ってみて、お手伝いをしていたころと違った点はありましたか?

入社を前提として大学4年のゴールデンウィークには、大阪に実演販売に行ったりしました。分かったのは、風鈴を作るだけではなくて、売らないといけないということ。今まで自分の頭になかった部分でした。

作るだけなら、一人で黙々と作業していればいい。でも、売るとなれば、知らない人に対して「いらっしゃいませ」から、たくさんのコミュニケーションを取らないといけない。私はまず「いらっしゃいませ」すら言えなかったのです。

接客のアルバイトも経験がなく、最初に大阪に行った時も、自分からお客様に声がかけられないので下を向いてひたすら風鈴に絵を描いていました。

−−−−苦手な接客は、その後乗り越えられたのでしょうか?

三越や高島屋といった百貨店でよく販売していましたが、当時の私のような経験のない若い子が一人で行くと、周りのベテラン社員の方々が世話を焼いて助けてくれました。なにしろ私は、包装してくださいと言われても包み方も分からないし、配送伝票って何?というレベルでしたから。

日本橋あたりの百貨店だと、お客様も懐の深い、寛容な感じの方が多いので、こちらも安心してだんだん慣れてきて「いらっしゃいませ」「さようでございますか」といった受け答えもできるようになりました。そういう場所で販売の経験が積めたことは、運が良かったのだろうなと思います。

父の死を乗り越えて

−−−−由香利さんが入社して10年が過ぎたころ、3代目のお父様(裕氏)が肺がんにかかり、会社の体制は大きな変革を迫られます。どのように対応したのでしょうか?

2013年の秋、父の病気が分かった時に、これからどうしていくか、という話を家族でしました。ガラス吹き担当が1人いなくなるだけでも大変なことなのに、しかもそれが父だと3人いなくなるくらいのダメージです。

でも、すでに注文を受けた分は納めなければいけないので、動揺している場合ではなく、とりあえずやるべきことはやらないと、という状況でした。

−−−−由香利さんが4代目として会社の顔になることは、その時に決まったのですか?

誰が継ぐというような具体的な話はまったくしていませんでした。江戸川区伝統工芸会と江戸川伝統工芸振興会には私の名前で入りましたが、父の没後に社長を務めているのは母です。私は「4代目です」と自ら名乗ったことはなく、周りに「4代目」と言われるので、じゃあそういうことにしておこう……という感じです。

父が亡くなる前、私に「大丈夫そう?」と聞くので、「うーん、やってみないと分かんない」と答えたのを覚えています。父は「そうだよね」と言っていました。覚悟や決意というよりは、とりあえずやってみて、だめだったらその時はその時で考えよう、始まりはそんな気持ちでした。

チャンスを無駄にせず全力で応える

写真提供:篠原風鈴本舗

−−−−その後、江戸風鈴の伝統は守りつつ、新しい絵柄や商品にもチャレンジされていますね。

江戸風鈴を作っているのは日本に2軒だけという希少さもあり、幸いにもいろいろなコラボレーションなど新しいことに挑戦できています。基本的にうちの家はみんな運がいいんです。祖父(2代目・儀治氏)も、戦争で死なずに帰ってきました。私も運のよさを引き継いでいるんだと思います。そのおかげでいままでやってこられた部分が大きいですね。

これからもいただいたチャンスは無駄にせず、できるだけ全力で応えていきたいと思っています。

篠原由香利氏プロフィール

篠原風鈴本舗 篠原由香利氏

1981年東京都生まれ。大学卒業後の2004年、家業の篠原風鈴本舗に入社。3代目の父・篠原裕氏の没後、篠原風鈴本舗の顔として「江戸風鈴」を世に広めている。風鈴作りでは絵付けを担当し、伝統柄から現代の暮らしになじむモダンなものまでさまざまな風鈴を制作。音楽、アニメほか異分野とのコラボレーション作品も多い。平成23年東京の伝統的工芸品チャレンジ大賞奨励賞をはじめ数々の賞を受賞。江戸川区伝統工芸会、江戸川伝統工芸振興会会員。なお「江戸風鈴」は2代目篠原儀治氏が江戸時代と同じ製法で製造している自社の風鈴を商標登録したブランド名である。

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賢者の選択 サクセッション編集部

賢者の選択サクセッションでは、⽇本経済の課題解決と発展のためには、ベンチャー企業の育成と併せて、これまでの⽇本の成⻑を⽀えてきた成熟企業∕中堅‧中⼩企業における事業承継をフックとした経営資源の再構築が必要であると考えています。 ビジネスを創り継ぐ「事業創継」という新しいコンセプトを提唱し、社会課題である事業承継問題に真摯に向き合うことで、様々な事業承継のケースを発信しています。 絶対解の存在しない事業承継において、受け継いだ経営者が事業を伸ばす きっかけとなる知⾒を集約していきます。

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