COLUMNコラム
「鬼滅の刃」に出てくる風鈴、日本に2軒しかない「江戸風鈴」だった ドクロ柄など、新境地を開いていく4代目女性職人の思い
吹きガラスに手描きで一つ一つ絵付けをする、江戸時代と同じ製法で「江戸風鈴」を作り続けている篠原風鈴本舗(東京都江戸川区)。2014年に3代目だった父が亡くなり、家業を引き継いだ篠原由香利氏(43)は、伝統を守りつつも、人気アニメ「鬼滅の刃」などとのコラボ作品をはじめ、ユニークな風鈴を世に送り出している。その発想の源泉や、コロナ禍の試練を乗り越えた体験、風鈴という伝統を未来につなぐことへの思いを聞いた。
目次
大量生産ではないからこそチャレンジできる
−−−−由香利さんの代になって、伝統的な柄だけでなく斬新な絵柄の風鈴を作っていますね。
先代の父も、招き猫の風鈴を作ったりして、新しいものには挑戦していました。私が2011年、東京の伝統的工芸品チャレンジ大賞奨励賞を受賞した作品は、東京の街並みを描いたものでした。励みになりましたね。
伝統的な金魚や花も素敵ですが、今の人は部屋も洋風だし、もう少しそこにマッチするような柄もあっていいと思います。
−−−−絵柄のヒントはどういうところから?
私はロックが大好きなので、ドクロの柄を描いてみたらとても好評でした。浮世絵なども、仕事のためというより好きで見ているので、アイデアはいろいろ頭の中にあります。常に周りにアンテナを張っている感じですね。
大事なのは、頭の中で「こういうのどうだろう」と考えているだけではなく、まず形にしてお客様に見てもらうことです。うちはすべて手作業なので大量生産はできず、商売の観点では弱点かもしれません。
でも、ラインの決まっている工場では「1個だけ」を作ることはできません。「とりあえず1つ作ってみる」ができるのは、うちの強みだと思います。
コロナ禍の苦境を救った「アマビエ風鈴」
−−−−コロナ禍の時、会社にはどういった影響がありましたか?
2014年にガラス吹きの主力だった父が亡くなり、作れる数が大幅に減ったため、風鈴作り体験教室に力を入れました。ところが、コロナ禍で体験申し込みのキャンセルが相次ぎ、例年は夏に5〜6回はあった百貨店などの催事もすべて中止になりました。
夏に窯の火を止めたのは、私の記憶にある限りこの時が初めてでした。決まっている注文だけはこなしていましたが、経営はもちろん赤字ですし、この状態がいつまで続くのかもわからず、不安な日々でした。
−−−−そんな苦境を乗り越えられたのは、ある商品のおかげだったとか。
当時、疫病よけの妖怪アマビエを描いて投稿するのがSNSで流行っていて、うちでもアマビエの風鈴を作って投稿しました。すると、ある新聞社の目に止まって取材が来たんです。
記事が出ると、アマビエの風鈴が欲しいという人が多く、ネットショップでもかなりの売れ行きに。数十個が30分足らずで売り切れたこともあるほどで、夏の間はずっとアマビエを描き続けました。風鈴は元々魔除けの意味があったそうですから、原点に返った商品かもしれませんね。
コラボレーションは知名度拡大のチャンス
−−−−その後、アニメーションとのコラボレーションで、風鈴が注目されることになりました。その経緯は?
アマビエ風鈴を作っていた頃、アニメ「鬼滅の刃」の制作会社から、劇場版アニメの中で江戸風鈴の音を使いたいという申し出がありました。風鈴は、映画の終盤でとても印象的な使われ方をしていて、登場したものと同じ柄の風鈴をグッズとして販売したところ、大人気になりました。
−−−−その他にも漫画やキャラクターなど多数のコラボ商品がありますが、コラボレーションについてはどう思われますか?
ありがたいことに、こちらからコラボをしましょうと売り込んだことはないんです。いただいたお話は、絵柄や数量などの点で無理がない限り、お断りすることはほとんどないです。コラボは利益率が高く、何よりそれまで風鈴に縁のなかった方に知ってもらう機会で、とても良いチャンスだと思っています。
「商売が下手」と言われる
−−−−4代目として会社の経営面を見た時、現状の課題はどんなことがありますか?
生産量をもう少し上げたいです。今は私と母、妹、私の夫、2人の職人さんと計6人で作っていますが、父が亡くなって以来、下がった生産量はリカバーできていません。求められる絵柄も変わり、1個あたりの手間が昔より増えていることもあります。
原材料や燃料の高騰を考えると、売価はもう少し値上げすべきなのでしょうが、やはりためらいがあります。事務や経理は母と妹に任せていますが、母からは「商売が下手」と言われます。でも、うちの人たちは基本的にみんなどんぶり勘定で、まあいいか、何とかやっていくしかないね、というタイプ。もう少しお金をきちんと見る人たちだったら、そもそも風鈴屋はやめていたかもしれません。
伝統を守っているのは使ってくれるお客様
−−−−今後、江戸風鈴はどのように継承されていくと思いますか?
私も妹も子供がいませんし、もし私の代で会社が終わったとしても、後悔したくないという気持ちで風鈴を作っています。風鈴は生活必需品ではないので、なくなっても困らない。求められなくなれば消えてゆくのは自然な成り行きです。
ただ、何か新しい使い方が生まれるとしたら残る可能性はあり、その可能性を広げてくれるのはお客様です。父も「伝統を守っているのは自分たちではなく、使ってくれているお客さん」と言っていました。
まずは単純に「かわいい」と目を止めてもらうことが大切です。伝統的な部分は大切にしつつも、時代に合わせて新しいことにもチャレンジしていく勇気が必要だと思います。
今、江戸風鈴の店は2軒だけで「江戸風鈴業界」というのはありませんから、「こんなものは伝統ではない」と言う人は周りにはいません。だからこそ好きなようにやれています。「老舗は最先端を行く」が祖父の口癖でした。その精神は私も大事にしていきたいと思います。
篠原由香利氏プロフィール
篠原風鈴本舗 篠原由香利氏
1981年東京都生まれ。大学卒業後の2004年、家業の篠原風鈴本舗に入社。3代目の父・篠原裕氏の没後、篠原風鈴本舗の顔として「江戸風鈴」を世に広めている。風鈴作りでは絵付けを担当し、伝統柄から現代の暮らしになじむモダンなものまでさまざまな風鈴を制作。音楽、アニメほか異分野とのコラボレーション作品も多い。平成23年東京の伝統的工芸品チャレンジ大賞奨励賞をはじめ数々の賞を受賞。江戸川区伝統工芸会、江戸川伝統工芸振興会会員。なお「江戸風鈴」は2代目篠原儀治氏が江戸時代と同じ製法で製造している自社の風鈴を商標登録したブランド名である。
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