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「すしのこ」をポテチにかけると、めっちゃ美味しい? ロングセラーを再ブレイクさせた次期社長の戦術~タマノイ酢【後編】

ご飯に混ぜるだけで簡単に酢飯を作れる調味料「すしのこ」は、60年にもわたるロングセラー商品だ。2024年4月1日、製造販売を手がける老舗食品メーカー「タマノイ酢」(本社・大阪府堺市)の新たな代表取締役社長に、現専務取締役の播野貴也氏が就任する。広告代理店で学んだプロモーション戦略で、売上げを落としていた「すしのこ」の再ブレイクさせた播野氏に、入社後の働き方について聞いた。

祖父が倒れ、タマノイ酢に入社することに

――大学卒業後に広告代理店に勤めましたが、タマノイ酢にはどういう経緯で入社しましたか。

播野 広告代理店に3年間勤めた後、タマノイ酢に入りました。実は、まだ戻りたくありませんでした。広告代理店の3年目は、仕事が楽しくなる時期です。プロジェクトを任され、得意先の宣伝部長にも認めてもらえるようになってきました。

5~6年は続けたいと思っていましたが、祖父が急に倒れてしまったのです。父(勤氏・現代表取締役社長)は、孫が入社した姿を見せ、祖父を安心させたかったのでしょう。父から戻ってくるように打診されました。

私はおじいちゃん子だったこともあって、会社に戻ることを決めました。祖父はすごく喜んでくれました。数年後に祖父は亡くなりましたが、一緒に過ごす時間を持てて良かったと思います。

ヒラ営業のつらさ、身にしみた

――タマノイ酢に入社してからはどんな仕事をしたのですか?

播野 創業家に戻るときは、取締役で入るパターンと平社員で入るパターンがあると思いますが、私は平社員で入り、まずは工場の現場を経験しました。お酢のタンクの中に入って、目をしょぼしょぼさせながら洗っていました。

社長が伝えたかったのは、屋台骨は工場だということでしょう。私としては、広告代理店を経験したので商品開発やプロモーションをやりたいという気持ちが強かったのですが。

――製造現場の次はどんな仕事をしましたか?

播野 その後は、ヒラの営業です。得意先は私が創業家の人間だと知りません。20代の若手が営業に行くと取引先にどのように扱われるか、厳しい現実を目の当たりにしました。

電話でアポイントを取ろうとしても「うち、B社を使っているから、いらないよ」と切られたり、やっと訪問しても「何で来たの?」「俺、忙しいから、5分で終わらせて」と言われたりしたこともあります。
しかし、粘り強くコミュニケーションをとる中で、少しずつ得意先との信頼関係を作っていきました。

全寮制の学校で、中小企業のドロドロを学ぶ

――その後、中小企業大学校に入ったそうですね。

播野 父は、金融機関の幹部候補が受講する日本生産性本部の経営コンサルタント養成講座を修了しています。私も、こうした講座やMBAコースなどに行くと思っていたので、中小企業大学校と聞いたときに疑問に思いました。父に「後になっていろいろわかるから」と言われて、約1年間の経営後継者研修を受けました。

中小企業大学校は、全寮制でした。私は寮に入るのは初めてで新鮮でした。トイレは個室に付いていますが、お風呂は共同で、冷蔵庫はありません。ペットボトルや調味料に名前を書いて、共用の冷蔵庫に入れていました。周りとコミュニケーションを取らざるをえない環境でした。

――中小企業大学校はどんな所ですか?

播野 とてもドロドロしているというか、 経営は一筋縄ではいかない、きれいごとでは済まないということが詰まっている学校でした。

日本生産性本部は、物事の上澄みを学ぶ場所です。スマートな戦略があって、ケーススタディをロジカルに考える鮮やかさがあります。

一方、中小企業大学校は、上澄みの下に沈んでいる「理論はわかるけど、現実はね」という世界です。モチベーションが高い人も、「本当は継ぎたくなんかない」という人もいました。社員が社長を応援してくれている会社から、荒れている会社までさまざま。

それでもみんなが社長を目指していました。会社の財務諸表を全部オープンにして、みんなで分析して議論したものです。赤字の会社もあれば、黒字の会社もあり、みんながそれぞれの思いを赤裸々に語り合いました。

――その後、日本生産性本部の講座を受けたのですね。

播野 はい。中小企業大学校の現場のドロドロした話と、日本生産性本部のマーケティング・経営理論の両方を学ぶことができたのはとてもプラスになりました。

「おふくろの味」が消えゆく中で

――その後はどのようなキャリアを歩みましたか?

播野 タマノイ酢の東京支店長を経て、本社で専務取締役として会社全体を見る立場になりました。

――2024年4月に社長に就任されますが、今のタマノイ酢の課題は何でしょう。

播野 商品で言うと、「すしのこ」は60年のロングセラーですが、最も使ってくれているのが70代くらいです。その方々が料理を教えた子どもたちが40代くらい。その次の20~30代という世代において、大きな課題があります。

昔は「花嫁修行」という言葉があったように、 母親が「おふくろの味」を子どもに伝えていました。ところが、今は母親から料理を教わる機会が減りました。自分で料理する機会自体も減りました。

スーパーには、おいしい総菜がたくさん並んでいます。身近な外食の選択肢も増えました。どうやって基礎調味料の魅力を若い世代に伝え、浸透させていくかが、大きな課題です。

「すしのこ」の再ブレイク

――若い世代に浸透させるための具体策はありますか?

播野 「すしのこ」は温かいご飯にふりかけるだけで美味しいお寿司ができる商品です。しかし、家でお寿司をつくる機会が減ると、当然、消費量も減っていきます。

そこで、お寿司以外のレシピ開発をこの5年くらい進めました。消費者からアイデアを募るなどの仕掛けをする中で、1つ光が見えたものがあります。

消費者がSNSにアップした「『すしのこ』をポテチにかけるとめっちゃおいしい」という投稿がバズっていたのです。これはチャンスだと思い、私はスーパーと交渉し、ポテトチップスの横に「すしのこ」を置いてもらいました。

すると、「すしのこ」の1週間の売り上げが2~4倍にも跳ね上がったのです。年間でも前年比 2桁増の売り上げでした。基礎調味料で2桁の伸びというのはめったにありません。

テレビなどのメディアに取り上げてもらう機会も増えて、何より若い世代に「すしのこ」を知ってもらうことができました。新商品も開発していきたいですが、既存商品の使い方や見せ方を変えていくことで、まだまだ伸びるチャンスがあることを証明できたと思います。

タマノイ酢株式会社

安土桃山時代の1590年頃、堺で製造された酢に用いられた商標「玉廼井(タマノイ)」にルーツを持つ。1907(明治40)年、5つの蔵が集まり、前身となる大阪造酢合名会社を設立し、1963年に「タマノ井酢」、1994年に「タマノイ酢」に社名変更した。1963年には、世界で初めて酢の粉末化に成功し、ロングセラー商品「すしのこ」を発売した。

【この記事の前編】60年続くロングセラー「すしのこ」を受け継いで 「僕って将来、社長なるの?」と尋ねた少年、4月から新社長に~タマノイ酢

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賢者の選択サクセッション編集部

日本の社会課題である事業承継問題を解決するため、ビジネスを創り・受け継ぐ立場の事例から「事業創継」の在り方を探る事業承継総合メディア「賢者の選択サクセッション」。事業創継を成し遂げた“賢者”と共に考えるテレビ番組「賢者の選択サクセッション」も放送中。

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