COLUMNコラム
「めっちゃ恥ずかしい…」全社員に謝罪、いい気になっていた3代目 冒険家・植村直己氏も愛用した「ワシオ」の暖かい肌着、倒産寸前からの復活
寒冷地やアウトドアで活躍する肌着「もちはだ」を製造・販売する肌着メーカー「ワシオ」(兵庫県加古川市)。冒険家・植村直己氏が南極大陸横断の際に使用した靴下もワシオの製品だったように、非常に高い保温性を誇る。1955年創業で、「鷲尾式起毛」という特許製法をもち、リピーターも多いワシオの陣頭指揮を執るのは、2024年1月に就任した3代目の鷲尾岳社長だ。もともと家業を継ぐ気はなかったが、倒産寸前だったワシオの改革を進めるうちに、会社に対する思いが変化していったという。
目次
精神的ににボロボロだった母
−−−−事業継承前の経歴を教えてください。
大学卒業後、就活ができませんでした。就活への嫌悪感というか、もうとにかく「やりたくない」気持ちが強すぎたんですね。
そもそもサラリーマンに向いていないと思っていました。京都外国語大学で中国語を習っていたので、中国で何か起業でもできたら面白いかな、みたいに考えていました。
中国に行かせてくれる人を誰か知らないかと、父親に相談したところ、神戸のある会社を紹介してもらいました。中国で飲食店を展開会社でした。
大卒後の4月に入社し、中国での事業計画書を書くことになったんです。言われた事は「この焼酎を使って新規事業を立ち上げろ」という内容で、自分でいろいろ調べながら損益計算書を作ってみたり、損益分岐点とは何かみたいな勉強をしたりして、7月に中国に渡りました。
取り扱う焼酎は中国で知名度がなく、割高で、特においしいわけでもなかったので、なかなか難しかったですね。
−−−− その後、家業の「ワシオ」に入社したのは何かきっかけがあったんでしょうか?
ビザを取り直すために半年に1回くらい日本に帰る必要があって、帰省して実家で過ごしていました。すると、親がケンカしていて、聞いてみると会社の状況がよくないとか、父親が母親から出される業務上の要望を全然聞いてくれないとか、大変な状態だったことが分かりました。
とにかく母親が精神的にボロボロだったので、会社を継ぐことはさておき、なんとか助けになりたいと思ってワシオに入社しました。2016年2月のことです。
リーズナブル広報戦略で成功
−−−−入社当時の会社は、どのような経営状態だったんでしょうか?
ワシオは2月末決算ですが、当時の損益計算書で見る赤字で1800万円ぐらい。さらに実態としての営業キャッシュフローはマイナス1.2億円くらいでした。
うまくいっていない分は「全部借り入れ」みたいな状態になっていて、実質経営破綻のような数字でした。当時、決算書を見る習慣が社内になく、数字より感覚ベースで経営するような状況でした。
売り上げ規模は5.6億円ぐらいでしたが、とにかく「使うお金を減らす」ところから始めました。収入を増やすため、「広報・PR」と「経費削減」の2点に集中し、利益率を高める必要があると考えました。
−−−− 広報戦略を教えてください
「もちはだ」の品質には絶対の自信があったので、「知名度さえ上がれば買ってもらえる」と考え、お金をかけずにできる広報を試しました。
まずは、「釣りよかでしょう。」という釣り系YouTuberさんにPRをお願いしました。おかげで、寒い中でじっとすることも多い釣り人たちに「もちはだ」の知名度が大幅に上がりました。
また、クラウドファンディング「Makuake」を活用しました。当時、クラウドファンディングは黎明期で、チャレンジをした企業が取材されている印象があったので、お金を使わずに広報ができると思ったんです。狙い通り、そこからWebメディアやテレビからたくさん取材が入りました。
「重荷」だった中国工場
−−−− コストカットは具体的にどのようなことを行ったのでしょうか?
当時、最大のコストは、2000年に進出した中国工場に関するものでした。もともと、中国で内販するためのものだったのですが、いつの間にか中国工場で作ったものを安く仕入れて日本で安く売るっていう、薄利多売になっていたんです。そうなると日本の工場の生産力は落ち、日本の工場が全然収支が取れない状態になっていました。
さらに円安の影響で、2014~15年頃は中国から物を入れて安く売るモデルが完全に崩壊しました。でも「せっかく作った中国工場を成り立たせるために」と、無理矢理発注をかけるという、よく分からない状態になっていたんです。
悪循環をとにかく止めなければならない。中国の生産量を落とし、中国からの仕入れも減らし、日本で作ることにしました。また、相場よりも高かった外注先の単価交渉とか、ウォーターサーバーやサブスクサービスの解約などのコストダウンを、入社1年目に徹底的に取り組みました。
結果、3年目には利益率は2倍に、キャッシュフローはプラス5000万円くらいになりました。
コロナ禍、1人だけ逃げだそうと…
−−−−コロナ禍の時期の売上はどうでしたか?
ECの売り上げは、そこまで落ちませんでしたが、BtoBのOEM(他社ブランドの受託製造)の仕事は大きく落ちました。メーカーがお店を閉めたりするなどした影響で、発注量が大幅に減りました。この落ち込みは、かなりきつかったです。
実は、そのとき、1回会社を諦めそうになったんです。
今考えると、非常にみんなに対して申し訳ないですが、「会社を閉めても僕は何とかなるわ」と思っていました。「倒産寸前の会社を立て直した3代目」として、講演や取材の依頼が相次いでいたので「再就職も余裕やろう」と。
そこで、再就職のための自己PR文を作成するため「自分は何ができるのか」について書き出してみたんです。すると、会社の本質的な部分に関して、僕は何もしてないことに気づきました。要は、現場の人たちが作ってくれた素晴らしい製品があって、僕はそれを届けるのがちょっとうまかっただけと気づきました。
めちゃくちゃ恥ずかしい。「全部自分がやってる」気になってたなんて、いかに傲慢だったのかと猛反省し、朝の全体朝礼で社員に謝りました。
謝罪後、自らの過ちを自覚し、仕事のやり方、人との関わり方を見直していくことで、従業員との関係性が少しずつ変化していきました。信じてもらうのに時間はかかりましたが、「以前の僕はひどかったよなぁ」と笑い合えるくらいにはなりました。
プロフィール
株式会社ワシオ 代表取締役社長 鷲尾 岳
1991年、兵庫県加古川市生まれ。2013年京都外語大学で中国語を学んだあと、中国で焼酎の輸入販売の仕事を約2年半手がける。その後、2016年に家業の「ワシオ株式会社」に入社。入社後は統括部長としてさまざまな社内改革に取り組み、業績改善を成功させる。2024年1月に代表取締役に就任。老舗肌着メーカーの3代目社長として、人気ブランド「もちはだ」の製品を世に送り出している。
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