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「お酒と煎餅で」銀座のサードプレイスを目指すバンドマン社長/創業220年の煎餅店、明治時代も「夜な夜な街の爺婆を集めて…」~松﨑商店【後編】

東京・銀座に創業220年を迎えた煎餅屋「松﨑商店」。8代目の松﨑宗平代表取締役社長は、就任直後に脳梗塞に倒れながらも、コロナ禍真っ最中に本店を移転したり、イートインスペースを設けたりするなど、大胆な仕掛けを続ける。松﨑社長が銀座で目指す将来像と、明治時代から続く「商いのDNA」に迫った。

銀座の「サードプレイス」に

――本店は東銀座に移転後、客数も売上も回復したとのこと。コロナ前よりも業績を伸ばせた「成功のポイント」はどこにあるとお考えですか。

松﨑 コロナ禍になった時、銀座本店の売上はもうボロボロだったんですよ。百貨店も同じで、売上を唯一キープできたのが“地域密着、原点回帰”を掲げた「松陰神社前店」。私が副社長時代、2016年にオープンした店舗です。縁もゆかりもない場所でしたから、街の人に気に入ってもらえなかったら終わり。

居心地がいいと感じてもらうために、玄関を1mセットバックしてママさんの自転車を停められるようにしたり、トイレを広くして赤ちゃん用のベッドを置いたり、段差があるところには急ながらスロープを併設したりと工夫をこらしました。

一方の銀座本店は狭く、地域の憩いの場として機能していなかったんです。そこで移転時には「銀座のサードプレイスになる」というコンセプトを掲げました。銀座で飲むと軽く5,000円は飛びますからね。でもうちなら、お酒と煎餅だけでリーズナブルに遊べる。ターンテーブルを置いて、街の人たちに「今夜、ちょっと面白いことをやるからおいでよ」といえる店にしました。

2023年10月6日には「酒と煎餅と#漬物と」というオープンなイベントを計画しました。今後もどんどん交流の場として開いていきたいですね。

東銀座は、下北沢とかに近い面も

――東銀座という街そのものを盛り立てていくと。

松﨑 もともと銀座エリアは、商店の人らが手を取り合って、進むべき道を話し合いながら街を守り育ててきました。巨大な資本が入っている日本橋や丸の内とはまた違う、どちらかと言えば下北沢とかに近い土壌なんだと思っています。

とくに東銀座は、非常に完成されていて隙がない銀座に比べて、ある意味伸びしろがある。20代、30代の若者にも頑張ってお店を出してもらって、新たな文化を醸成していけたら嬉しいですね。銀座とは異なるブランディングできる、エネルギーと可能性を秘めた街だと思います。

「遊ぶDNA」で全てを変えていく

――創業から220年、さらにその先へと事業を繋ぎ、広げて行かれるわけですが、この歴史のなかで「変わらないもの」はございますか?

松﨑 “遊ぶDNA”でしょうか。明治時代の銀座を紹介した本を読んだのですが、「松﨑煎餅という店あるが、夜な夜な、街の爺婆たちを集めて集会を開いている」というような描写がありました(笑)。今とやっていることがすごく似ているんですよ。みんなを巻き込んでいくのが好きな血筋なんでしょうね。

それとフットワークを軽く、こだわらないこと。5代目である祖父は株式会社にするにあたり、商号を「松﨑煎餅」から「松崎商店」にあらためたのですが、それも「煎餅にこだわる必要はない」という想いからなんです。

祖父は長唄や切り絵を嗜むなど芸達者な人で、中央に急須が入った缶入り煎餅をつくるなど遊び心を持っていました。その頃のデザインをオマージュした缶を現在、私自身でデザインしていまして、今年(2023年)の11月には店頭に並ぶ予定です。

祖母や父にしても「始まったものはいつかは終わる。松崎商店が終わることなんて気にしなくていい」と何度も繰り返していました。私はプレッシャーを感じずにアイディアを形にできているのは、先代らから受け取った“こだわらない力”のおかげだと思います。

残すべき物ってないと思うんです

――では「変わっていくべきもの」は何だとお考えですか。

松﨑 変わらないものは、遊び心とこだわりのなさ。裏を返せば「全てのものを変えていく」。残すべき物ってないと思うんです。「残したい」から現在まで続いているだけ。なので、私はポジティブな意味で「どうでもいい」スタンスを貫きたいですね。

コアをどんどん磨いていくのも商売としてひとつの考えですし、古くから続いている会社ほどそのタイプが多いように感じます。でも私は、お客様を集めるフラスコの淵は大きければ大きい方がいいと思っていて。例えば瓦煎餅のコラボによって、うちのことは知らなくてもそのコンテンツを愛している人が買ってくださいますよね。松陰神社前店でコロナ前はランチを提供していたのも、煎餅に触れてもらうための道筋を増やしたかったからです。そうして間口を広げて、入ってきてくれた人の一部の方をファンにできれば、会社は存続していけます。

――次の9代目への承継について展望はございますか?

松﨑 人口が減っているので、菓子業界は絶対に尻すぼみになっていく。胃の数が減っているわけですから競争が激化しますよね。果たして松崎商店として続いていくのがベストな選択なのか、いろいろな方と会って情報収集に務めています。決断するのはまだまだ先ですかね(笑)。

革命の方法論はいくつもある

――最後に、事業承継に臨まれる方へのメッセージをいただけますか。

松﨑 若いときって一箇所ばかりを見てしまいがちなんですよね、どうしても。「うちの商品はかっこよくないから新しくしよう」と、丸ごとひっくり返す決断をしてしまったり。それで先代とぶつかって家業を出てしまった人もいます。でも例えばパッケージを変えるだけでも伝え方は変わりますし、それすらしなくたって革命は起こせる。方法論はいくつもあるんですよ。

大切にすべきものはきちんと守りつつ、表面的な言葉で片づけないで一個一個をちゃんと見つめること。答えは絶対に一つじゃないし、方程式もない。誰かに何かを乞うのではなく自分で考え続ければ、自ずと進むべき道が浮かび上がってくると思います。多分「あなた」が一番答えに近いところにいるはずなので。

それと、次の3つをぜひ大切にしてほしいですね。まずは『時間』。そして『健康』。最後に『縁』です。不思議なもので、人との縁はどんなところで出会っても繋がるんですよ。

私はバンド活動をしているのですが、フェスに出た時、前夜の席でデベロッパーの社員の方と知り合ったんです。ちょうど店舗の建て替えを考えていた時期だったので軽く相談してみたんです。結果、担当部署の方を紹介していただき、とても良い案を提案してくださいました。

今年の夏も、私のロングインタビューがヤフーニュースに載ったのを見て知人のラジオディレクターが10年ぶりに連絡をくれました。その流れで私、今月3本ラジオに出たんですよ(笑)。ずっと繋がっていなくても、ふとした時に人と人とは交差するし、人生が豊かになっていく。肩ひじ張らずに楽しみながら、ゆるりと縁を結んでいってほしいですね。

まとめ

創業200年を越える老舗の看板を背負いながらも、その重さをも感じさせず、遊び心をもって軽やかに変えていく姿勢は、見習いたいところ。現状に縛られて一歩を踏み出せずにいる人にこそ、ぜひ参考にしていただきたいです。

(文・構成/埴岡ゆり)

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株式会社松崎商店(屋号:銀座 松﨑煎餅) 代表取締役 松﨑 宗平

1978年、東京・銀座生まれ。大学卒業後、グラフィックおよびウェブデザインを行うIT企業での勤務を経て、2007年に株式会社松崎商店(屋号:銀座  松﨑煎餅)へ入社。2018年より代表取締役社長を務める。バンドoysm/SOURのベーシストとしても活躍する。

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