COLUMNコラム
「言いたい放題の人は責任を取りません」/コロナ禍にフルーツバーや配膳ロボット、銀座の老舗レストランの挑戦~三笠会館の事業承継【後編】
鶏の唐揚げを初めてメニューに載せたとされる銀座の老舗レストラン「三笠会館」(東京都中央区)。1925(大正14)年に氷水屋として歌舞伎座前で産声をあげ、2年後に食堂へ転身。現在4代目の谷辰哉代表取締役社長は、東日本大震災やコロナ禍という様々な荒波に直面したが、フルーツバーや配膳ロボットなど多様なアイデアを生み出し、乗り越えてきた。2025年に創業100周年を迎える三笠会館が、次に志す道を聞いた。
目次
レストランだけでは生き残れない
――大震災の翌年となる2012年に社長に就任。近年ではコロナ禍が、世界を覆います。外食産業は大きなダメージを受け、人々の食への向き合い方も変化しました。
谷 もともとコロナ禍が始まる前から、社員には「高齢化社会の上に、人口が減っていく中、その人たちの時間とお金を何に使ってもらえるのか? 存分に食べられる“健康な胃袋”の数となるともっとずっと少ない。
レストランだけでは生き残れない」と話し、テイクアウトやレトルトなどのご家庭で食べられる“中食”も含めた、総合食へと緩やかに軸足を移そうと考えていました。
そこにコロナショックが起こり、仕事ができない、外出してはいけない、マスクをつけなければいけない、症状で味が分からなくなるかもしれない……と、想像もしなかった危機に皆が晒されました。ここで社員の意識が大きく変わりました。
特に、レトルト開発はこれまでにないハイペースで商品化が進み、ナポリタンなどのパスタソースをはじめ、ビーフシチューにチキンカレー、フカヒレスープなど、この2年で15種以上になりました。「つらい時ほど美味しいものを」と、非常食にお求めいただく方も多いんです。キャンプのお供に、煮込みハンバーグの缶詰を購入されるお客様もいらっしゃいます。お客様の使い道を聞くとうれしくなります。
趣味はサーキットにオーケストラ、そこから生まれる発想
――2021年の緊急事態宣言下では、酒類の提供が制限されるなか「BAR 5517」をフルーツバーとして営業するなど、店舗の在り方も臨機応変に変えていらっしゃいます。
谷 ノンアルコールカクテルの「モクテル」が注目を集めていました。「バーはお酒を飲むもの」といった固定観念に縛られず、柔軟な対応でニーズを叶えていく。バーテンダーから「妊婦さんや、お酒を飲めないお嬢さんがお父様に連れられて来店された」といった話を聞きました。現場の声を聞き、客層を開拓して新たな楽しみを提供できたのではないかと思います。
どうも私は人と違うことをしたいサガのようで、今はやっていませんが、趣味はサーキットと、オーケストラでファゴットを奏でること。「レストランしか知らない」人間だと、発想にも限界があります。幅広い経験が、経営にも多様なメリットをもたらしてくれるのを感じています。
変わらず在るには、変わり続けること
――2025年には創業100周年を迎えられます。これからも「変わらず残したいもの」と「変えていきたいもの」を教えていただけますか?
谷 全てにおいて「変わってもいい」と考えています。例えば、昭和7年頃から提供している店の看板メニューの一つ「骨付き鶏の唐揚げ」も、当初とはずいぶん変化しているはずなんです。
初めてメニューに載ってから90年以上も経っています。鶏肉をはじめとした材料の質も当然違いますし、並行してレシピも少しずつアレンジしている。そうでなければ今日まで残りません。逆説的ですが、生き残るために変化させ続けたからこそ「変わっていないね」と言われるのではないでしょうか。
三笠会館のメニューのなかにはすでに消えてしまったものが沢山ありますし、店舗もこれまで幾つも閉めました。100周年のその先へ繋ぐためには、食事も店もどれだけチューニングできるかが肝要だと思います。
サラダバー配膳ロボットを導入
――店舗に関していえば、2020年にオープンした「THE GALLEY SEAFOOD & GRILL」では、サラダバーの配膳にロボットを導入し、非接触が推奨される“新しい生活様式”に叶ったレストランだと話題を呼びました。
谷 元々、アイデアの源はコロナ前から言われていた人口減で、「未来の働き手が不足する」という危機感でした。レストランはとにかく人手が要りますから、このままでは確実に足りなくなる。ロボットの導入事例を国内外で探したものの、当時は実際に給仕させているレストランはなかったんです。
一方で、カクテルやハンバーガーを作る巨大なロボットは活躍していて「これがエンタメになったら面白いんじゃないか」と。
ロボット化は始めこそ面白がられますけれど、最終的には「Aさんの首を切ってロボットにすげ替えるのか」とネガティブな話になる。それでは絶対にダメなんです。お客様が「楽しい!」と言ってくださったら、みんなが納得するはず。時代の流れとして導入が避けられない以上、人間とロボットの協働という“プラスの発想”でポジティブに変革を推し進めたいですね。
亡くなる間際に「後は任せた」では困る
――ご子息はお二人とも小学生とのことですが、次の事業承継はどのようにお考えですか?
谷 やはり事業承継の障壁は税金なんですよね。日本は課税が非常に重いので、その処理に相当なエネルギーと時間を持って行かれる。とはいえ、現段階ではまだ息子が継ぐかどうかわかりません。向き・不向きもあるでしょう。ただ、そこがクリアになれば色々な可能性が出てきます。
世界的にはファミリーカンパニーが主流ですし、「家族で100年やっています」という小さなレストランやワイナリーもかなりある。日本はどうしてもサラリーマンにしたがると言いますか、自分の任期である3~5年間さえ無事に過ごせればいい、無難にやろうという姿勢になりがちです。それでは面白くないので、色々な展開を模索したいですね。
そのためにもっとも重要なのは、先代がいつ誰に渡すのか意思決定をすること。もちろん様々な方との話し合いは必要ですが、ぎりぎりまで引っ張って死の間際に「後は任せた」と言われても困るでしょう。承継の意思を早々にはっきりと示すこと、「家業を何とかしなくては」と必死で踏ん張っている承継者の意志を折らないこと。この2点は私が先代となった時には心がけるつもりです。
言いたい放題の人は責任を取りません
――最後に、事業承継に臨む方へメッセージをいただけますか?
谷 承継者には様々な人が様々な期待を乗せてきますが、それはひとまず置いておいて、「自分がしなければならないことは何か」を考えてください。「これは守れ」とか「そんなことはダメ」とか、禁止リストが多いんですよね。従ってばかりだとできることがなくなっていきますし、言いたい放題の人たちは責任を取りません。
だったらバランスを取ろうとせず、自分がやりたいと思ったことをやればいい。そして、独りよがりにならないように視座を高めるには、多種多様な業界の人と出会い、話を聞くこと。自分の業界では「常識」でも、外から見ると「なぜそんな意味のないことを?」と疑問を抱かれたり、非常識なことだったりしますから。
それから、こういう風にしたい、やりたいと思ったら、自分の味方を探してください。先代につく人は大勢いても、承継者についてくれる人はごく少ないもの。顧問弁護士でも会計士でも、自分のことを見てくれず「前社長はこうでした」とばかり言うなら、変えてしまえばいいんです。
いかに優秀でも自分と合わない人とやっていくのはつらいですからね。ただでさえストレスがあるなかで、あっちの顔もこっちの顔も立てながら……とやっていると、経営ではなくなっていきます。
最後に、失敗はあまり気にしないことです。私もオープンした店が思い通りに振るわなかったなど、失敗も数多くあります。しかしどれも、やってみたからこそ分かること。多少の損失は仕方ないですよ。なにしろ、誰もやったことがないチャレンジなのですから。
例え駄目でも、新たな方法や視点を呼んでくれる。とりあえず「やる」と言ってみれば、やりたい人が必ず現れます。何においても、最後は絶対に自分で決める。やりたくないことはやらず、やりたいことをやる。これに尽きます。
(文・構成/埴岡ゆり)
※こちらの記事は追記・修正をし、2024年2月15日に再度公開しました。
後編|「もう決めた。私は辞める」次の社長に指名、バイト感覚だった創業家3男/日本で初めて「鶏の唐揚げ」を出した老舗レストランの事業承継~三笠会館
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