COLUMNコラム
「それで、いつ帰ってくるんだ?」突然、父の誘い 総合電機メーカーから、製薬会社「あすか製薬」に転身した5代目 /山口惣大ロングインタビュー#1
産婦人科領域や甲状腺領域などに、無類の強さを発揮する製薬会社がある。月経困難症治療のための低用量ピルなど多様なホルモン製剤を発売し、特に甲状腺ホルモン製剤は国内90%以上のシェアを占めるのが「あすか製薬」(東京都港区)だ。100年以上前、動物の臓器から医薬品を作り出すという斬新な発想でスタートした企業の代表に2021年、5代目代表として山口惣大氏が就任した。全くの異業種から社長を継いだ事業承継のストーリーを聞いた。
目次
あすか製薬、頭の片隅にはあったけど
——お父さまの仕事を継ごうと思ったのは、いつごろでしょうか?か教えてください。
山口 あすか製薬は、産婦人科、泌尿器科、内科の3領域を重点に、医療用医薬品事業を展開しています。特定の領域に特化した製薬会社をスペシャリティーファーマといい、当社はそれに当たります。特に、産婦人科領域と甲状腺領域で使われるホルモン製剤では高いシェアを占めており、その中でも甲状腺ホルモン製剤は国内で90%以上のシェアを占めるリーディングカンパニーです。
幼いころから、父があすか製薬の社長だと知っていました。将来について何か言われることはなく、学生時代は漠然と自分の好きなことをして暮らしていこうと考えていました。
高校時代は化学が好きでした。得意分野を生かしたいと思い、大学でも化学を専攻しました。大学院で修士課程を終え、大学院時代に興味をもった知的財産の分野へ進みたいと思い、日立製作所へ就職しました。
——就職の際、当時の代表であるお父さまから、入社の誘いはなかったのですか?
山口 あすか製薬への入社は、頭の片隅にはありました。ただ、父から明確に勧められることはなかったです。日立製作所に8年ほど勤務しました。知的財産の仕事に関わりながら弁理士の資格を取得しました。仕事の裁量も増え、充実していた時期だったと思います。
海外赴任の直前に…
——その後、あすか製薬へ入社をされた理由について教えていただけますか?
山口 入社して8年、日立製作所から海外赴任の話が出ました。でも、その頃に父から突然、「それで、いつ帰ってくるんだ?」。
日立製作所には、自身を育ててくれた恩を感じていたので、正直迷いました。海外赴任を終えてから転職することも考えたのですが、「どちらか決めるときだ」と決心し、あすか製薬への転職を選び、2016年に入社しました。
ただ、父の一言には特に驚きはしませんでした。いずれは声がかかると心の中では思っていましたから。
——決断した大きな理由は何だったんでしょうか?
山口 約8年間、知的財産の仕事で自信もついていました。自身の能力を活かし、日立製作所と同様にあすか製薬に貢献したいと思ったのです。それが転職を決断した大きな理由です。
——転職後のお父さまとの関係性について教えてください。
山口 あすか製薬に入社後、父から具体的な指示はほとんどありませんでした。もちろん、上司部下の関係で話すことはありましたが。父は自分の考えを明言するタイプでなく、ごく普通の父と子の関係でした。
父が環境を整えてくれた
——あすか製薬に入社されて、どのようにキャリアを積んだのでしょうか?
山口 まったくの異業種・異職種の世界ですから、ゼロからのスタートでした。それでも、父は幅広い人脈を生かしてさまざまな人を私に紹介し、仕事がしやすい環境を作ってくれました。具体的な指示はなくても、とても大きかったです。
すんなり馴染めた「父がつくった環境」
——そして、2021年にあすか製薬の社長に就任されたのですね。
山口 入社後に事業開発部門を経て、研究所で企画を担当しました。その後、研究所と事業開発を管轄する取締役となり、2021年にあすか製薬の代表取締役社長になりました。
代表に就任して思うのが、あすか製薬の社員一人ひとりは、薬を扱う生命関連企業としてしっかりした責任感を持っており、人や仕事への誠実さにつながっているように思います。
——会社の雰囲気はどうでしたか?
山口 会社の雰囲気も非常に良かったですね。私が入って話をしていくうちに、会社の皆さんがすんなりと私を受け入れてくれました。父が作った環境のおかげだと思っています。
あすか製薬株式会社
1920年、山口八十八氏が帝国社臓器薬研究所を横浜市に創立。産婦人科領域や甲状腺領域におけるホルモン製剤のリーディングカンパニーとして、多くの患者さんを支えている。2021年、持ち株会社体制に移行しあすか製薬ホールディングス株式会社を設立、5代目の山口惣大氏があすか製薬株式会社の代表取締役社長に就任。2023年度に、産婦人科領域での国内売上No.1を達成した。
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