COLUMNコラム
「日本人のリスク管理、アジア最下位レベルでは」 米国の制度導入、経営リスク管理のプロ「保険仲立人」として活躍する四国の企業
「保険仲立人」とは顧客と保険会社の間を取り持ち、双方にとってフェアで有意義な契約をサポートする存在です。四国にある「日本総険」(本社・高松市)は、1996 年に創業し、保険仲立人に関するアメリカの制度を日本に導入して、リスク管理面で企業経営をサポートしています。「アジア最下位レベルでは」と指摘される日本企業のリスク管理について、葛石晋三専務に話を聞きました。
目次
リスク管理は、企業経営の成長と発展に不可欠
——日本総険の事業について教えてください。
葛石 日本総険の創業者は、私の父、葛石智です。父は50 歳で、保険仲立人制度が施行された1996 年に創業しました。
もともと、祖父は製材所を経営していました。山から木を切り出し、加工して出荷するビジネスでしたが、当時の安全基準は低く、従業員がけがをしても満足のいく補償ができずに祖父は苦労したそうです。
そこで祖父は、従業員や家族の安心を守るために保険代理店を始めたと聞いています。当時からリスク管理に対する意識が強かったのだと思っています。
——祖父の保険代理店が、日本総険創設につながった経緯を教えてください
葛石 父は大学を卒業後、祖父の保険代理店に入りました。1970 年代、大卒で機械工学部を出て保険代理店をすることはとても珍しかったそうです。
大正海上火災保険(現・三井住友海上火災保険)の研修生制度で保険の勉強をする中で、アメリカに「インシュランス・ブローカー」と呼ばれる保険仲立人の制度があり、保険のマーケットを作っていることを知りました。
父は、日本で同様の制度導入の流れを感じ、20代のころから保険仲立人制度についての情報を集めていたそうです。
保険仲立人制度は、もともと日本にはありませんでした。しかし、日本の金融市場開放の流れで、大蔵省や保険会社が保険仲立人制度の日本導入を方向付け、1996 年、保険業法改正によって保険仲立人制度が施行されると同時に「日本総険」が創業しました。
日本人のリスク管理は、アジアで底辺
——リスク管理と企業の発展・成長について、考えを聞かせてください。
葛石 たとえば、弊社の顧客の仕入れ先が操業停止になり、大きなダメージを受けたという事例がありました。新型コロナウイルス感染症流行のような、大規模なリスクが発生した際には、供給チェーンの妨げや生産停止などの影響が広がり、企業は重要な部品や資材の調達が困難となって業績が悪化します。
事前にリスク管理を行っていれば、適切な対策を講じることが可能となり、企業の持続可能な成長を支援することにつながります。現代のグローバル化したビジネス環境では、企業規模にかかわらず、中小零細企業でもリスク管理の必要性は高まっています。
——グローバル社会のなかで、日本の経営者のリスク管理に対する意識についてはいかが
でしょうか?
葛石 経営者に限らず、日本人のリスク管理に対する意識は、アジアにおいて最下位に近いくらいではないかと思っています。それくらい、ものすごく低い。
たとえば、インドネシアやマレーシアなどでは川の近くや海辺に工場を建てることは避けられています。津波のリスクが高く、保険会社が契約すらしてくれないからです。だから、工場は内陸部などに建てられます。
しかし、日本では、台風が来ても通り過ぎ去れば一安心、といったような文化が根付いていると感じます。この日本人のリスクマネジメントへの意識を変えることは、私たちの大きなミッションです。
——日本総険における「保険仲立人」の意義を教えてください。
葛石 保険仲立人とは消費者と保険会社の間を埋める存在です。消費者が持っている情報やニーズがあまりにも保険会社に届いていない。あるいは保険会社が持っている情報が消費者に知らされず、フェアな状況になっていない。消費者のために保険仲立人としてその間を埋めていく。それが弊社の立脚の精神にもなっています。
企業プロフィール
1996 年4 月施行の保険業法の改正で日本に保険仲立制度が生まれたのを機に、大蔵省の登録・認可を受けて同年に創業。「技術でリスクを管理する」というコンセプトのもと独自に研究開発を行ない、クライアント企業の事業態リスクに合わせた保険調達を可能とするIBA(INSURANCE BROKING&AGENCY)COVER を商品として販売。2023 年、保険仲立人として日本で初めてTOKYO PRO Market に上場した。
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