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セガサミー会長「こんな最悪のケース見たくない」コロナ禍でゲーセン全閉鎖の試練…でも「任せた」 若手社長がピンチで構造改革を決断

2004年10月、パチンコ・パチスロなど遊技機のメーカー「サミー」と、ゲーム企業「セガ」が経営統合して誕生した「セガサミーホールディングス」。里見治紀氏 代表取締役社長グループ CEO(45)は、巨大企業を30代の若さで父親から事業承継したが、そのきっかけを作ったのは、サミーが町工場だった頃から働いてきた役員たちだった。

「息子さんを社長にしてください」

里見治氏は、当時の事業承継の風景をこう振り返る。「息子が37歳ぐらいのときに、サミーの役員がみんな私のところに来て、『治紀さんを何とか社長にしてもらえませんか』と言ってきたんです。彼らは早く大人にしたいみたいなところがあったのかもしれない。私としては、やっぱり親として嬉しかった。『私たちが絶対ちゃんと支えます』と言うから、本当は40歳ぐらいで承継しようと思っていたけれど、スケジュールがずいぶん早くなりました」

そして、里見治紀氏は、2016年、サミーの代表取締役に就任し、2017年にはセガサミーホールディングスの社長に就任する。互いを尊重しつつ、「口を出さない会長」だったが、大きな対立もあったという。巨大企業を事業承継した後のピンチについて、里見治紀氏に聞いた。

「任せた以上は任せる」口出し会長にはならない

——社長就任後、お父様との関係はどうなりましたか。

里見 父親が出てくるのは取締役会だけになり、経営会議に出てこなくなりました。

私の仲間で事業承継に苦労している人もいますが、うちが良かったなと思うのは、お互いがお互いをものすごく気遣っていた点です。父親は、人前で私のことを怒らないし、逆に私も父親の経営方針批判などを裏でワーワー言ったりしませんでした。本人の前では言いますけどね。

——事業承継で、先代が権限を譲らず、うまくいかないケースは多々あるといいます。

里見 父親も、先代社長が新社長の息子に権限を全然渡さず、社長が決めたことを後で先代がひっくり返す会社を見ていました。それに対して、「ああいうことをやっちゃいかん。それだったら社長にしなきゃいいじゃないか」と言っていたんで、自分が同じ立場になったときには、気を遣ったと思います。

本当は言いたいけど我慢していたと思います。何回か、私が取締役会とかで物事を決めたとき、後で部屋に呼ばれて「俺は、本当は違うと思っている」と言われたりしました。でも、取締役会で会長がひっくり返したら、誰も私の言うことを聞かなくなりますから。

役員人事も私が決め、父親は追認するだけでした。人事は、やっぱりみんな見ていますから、私に人事権がないと思ったら、父親にごまをする方が出てきてしまいます。その点、父親は「それは治紀に任せているから」と言っていました。すると、社内外の人が、私を見るようになります。父親が、そう仕向けてくれてありがたかったですね。

コロナで最大400億円の赤字シミュレーション

互いを尊重し、良い関係を築いていたはずの2人。しかし、2020年に初めてともいえる大きな対立を迎えることになる。それは、新型コロナウイルス禍を巡る対応だった。ゲームセンター運営やパチンコ・パチスロの製造販売を事業の柱としていたセガサミーにとって、創立以来の難局だった。

——セガサミーは、コロナで一番ダメージを受けた業界だったのではないでしょうか。

里見 コロナの流行初期は、これは大変なことが起きたなと。運営していた約 200店舗のゲームセンターを緊急事態宣言中は全部閉じ、遊技機を導入していただいているパチンコホールも閉鎖されました。そして、最悪のシミュレーションを作って「400億の赤字が出ます」と父親のところに幾度か持って行ったら、「こんな最悪のケースばかり見たくない。対応案を持ってこい」とめちゃくちゃ怒られました。
でも、最悪のケースを想定していかに回避するか、あるいは想定内にするのかが私の仕事だと考えています。そして、構造改革をせざるを得ないと判断し、セガはゲームセンター運営から完全撤退しました。

──セガにとって、ゲームセンター事業というのは柱なので、かなり厳しい決断だったのではないですか。

里見 ゲームセンター事業はセガにとって祖業の一つだったこともあり、苦渋の決断でした。また、サミーは、当時業界的にも本当に厳しい環境になっており、3分の1の社員に希望退職を募りました。私が育った家は、会社の隣にあったので、子供のときから知っているような社員の方にも希望退職を申し込んでもらいました。
この案を出したときに父親が「ここまでやるのか」と。社内からも「会長ならこんなことしない。社長だからこんな厳しいんだ」という声も聞こえてきました。でも、会社を潰さないことがファーストプライオリティです。そして会社に体力がなくなったときに希望退職を募ったのでは十分なパッケージを提供することもできません。体力があるうちに希望退職のパッケージを作ることが重要でした。
セガサミーは次の就職先が決まるまでずっと支援しました。でも、やはりつらい決断でした。

「よくここまで腹をくくったな」

息子が行った大胆な構造改革を、先代の治氏はどう思ったのか。治氏は「そこまでの案を出してくるのは予想してなかった」と話す。コロナが落ち着いたら利益はある程度出せる。だから、そこまでやらなくても…と助言したという。しかし、息子は「構造改革を行うのであれば一括してやる必要があります」と主張した。「ある意味でよくここまで腹くくってやれたなっていう思いはあります」と振り返った。

パチンコ・パチスロの負の側面を超えて

——事業承継について考えを聞かせてください。

里見 2代目3代目のほうが、創業者の思いを言語化するのが得意じゃないかと思っています。よく事業承継のケーススタディと言いますが、会社の中で実際に何かが起きたとき、先代がどういう決断をしたか、2代目は客観視できる。だから、創業者の理念を、私が社長になるときに明確にしていった面はあります。

——これからセガサミーをどういう会社にしていきたいかというビジョンを教えてください。

里見 社長になったとき、最初の株主総会で言ったメッセージは、「社員が自慢できる会社にしたい」でした。どうしてもうちの事業は、ゲーム障害やパチンコ・パチスロにおけるのめり込みなど、負の側面もあります。でも我々は、それを上回る正の価値(≒感動体験)を提供できれば、世の中にあってほしいっていう会社になれるよねと。やはり、世界中に我々が考える感動体験を提供できる会社にしていきたいなと思っています。

成功は部下に与えろ

こうした里見氏の姿勢を、先代社長はどう見ているのか。最後に先代の治氏に聞いてみた。

「もちろん任せた以上は任せる。ただ、知らん顔はしていません。当然ウォッチして、本当に踏み外すようなことがあれば、アドバイスします。また、私はいつも従業員に対し、『早く良い失敗をしろ。そして失敗したときは上司がそれをすべてカバーしろ。成功したときは部下に全部与えろ』と。そうしたら非常に強い組織になる。やっぱりそういうところを目指してほしいですね」

里見治紀さんプロフィール

1979 年 1 月 11 日生まれ。明治学院大学国際学部卒業。大學卒業後、国際証券へ入社。
2004 年にサミーに入社。2005 年からセガに出向し、米国拠点でデジタル配信ビジネスを立ち上げる。
2012年米UCバークレー大学経営大学院(MBA)を卒業後帰国し、スマートフォン用ゲーム開発の社内ベンチャーを立ち上げ、CEOに就任。2017 年にセガサミーホールディングスの社長となり、社内の改革を推し進める。現在、セガサミーホールディングス代表取締役社長グループ CEO、セガ代表取締役会長 CEO、サミー代表取締役会長 CEO などを務める。

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賢者の選択 サクセッション編集部

賢者の選択サクセッションでは、⽇本経済の課題解決と発展のためには、ベンチャー企業の育成と併せて、これまでの⽇本の成⻑を⽀えてきた成熟企業∕中堅‧中⼩企業における事業承継をフックとした経営資源の再構築が必要であると考えています。 ビジネスを創り継ぐ「事業創継」という新しいコンセプトを提唱し、社会課題である事業承継問題に真摯に向き合うことで、様々な事業承継のケースを発信しています。 絶対解の存在しない事業承継において、受け継いだ経営者が事業を伸ばす きっかけとなる知⾒を集約していきます。

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