COLUMNコラム
カリスマ社長の父とは常に「バチバチの関係」だった/「ジャパネットたかた」の2代目息子、過去最高売上をたぐり寄せた38対2の多数決【後編】
通信販売「ジャパネットたかた」を、自らテレビに出演していた名物社長の実父・髙田明氏から、2015年に経営を引き継いだ2代目の髙田旭人(あきと)氏。メディア露出は少ないが2021年には過去最高売上を更新し、「カリスマ」からの事業承継を成功させた。しかし、その裏には、父親であり、有名カリスマ社長との「バチバチ」の関係があったという――。
目次
父と対立続きだった専務・副社長時代
旭人氏が社長を継ぐ直前の数年間、明氏とは常に「バチバチだった」という。会社のために意見を言う旭人氏に「そんなに言うならおまえが社長をやればいいだろう」と何度も言われた。
家電エコポイント制度の反動で売り上げが低迷した2011年、旭人氏は本社に戻り、販売の担当に着任した。
このとき明氏は「来年、過去最高益を達成できなければ社長をやめる」とメディアに驚きの宣言をする。旭人氏が社員50人を引き連れて東京に行き、バイヤーを旭人氏、販売は明氏という「大変な組み合わせ」で過去最高益を目指すことになった。
ここでも二人は火花を散らした。旭人氏が選んだ商品への「ダメ出し」は日常茶飯事。買いつけた商品が売れなかったときには、「商品(を選んだ旭人氏)が悪いのか、売り方(を担当している明氏)が悪いのか」のバトルが勃発した。
さらに、月曜から金曜の同じ時間帯に放送されるジャパネットのテレビ番組を巡り、月・水・金を明氏が、火・木を旭人氏が担当し、「どちらが優れているのか白黒つけよう」となったことも。父と子のライバル関係は長く続いた。
「チャレンジデー」という挑戦を乗り越えて
父子の対立が頂点に達したのは「ジャパネットチャレンジデー」という企画だった。24時間限定で特定の商品を衝撃価格で販売するという、旭人氏発案の企画だった。
旭人氏には「高い家電はあまり売れないけれど、たった1日だけ安くして4年分くらい売ってしまえばいいのではないか」という斬新な発想があった。渋るメーカーを説得し、「売れ残っても返品しないから安くして」と交渉したという。
企画を提案した旭人氏と、断固反対する明氏。結論を社員40人で多数決することになったが、明氏についたのはたった2人だった。
そして、チャレンジデーは実施された。反対していた明氏も「やるなら全力でやる」と一生懸命テレビで紹介し、結果を出した。旭人氏は「ついてこいっていう考え方の父が、人に任せるという新しい考え方を学んだのでは」と振り返る。
父とは、人間的にリスペクトし合う関係だからうまくいった
こうした対立を繰り返していた2人だったが、旭人氏は事業承継が成功した理由として「お互いに相手へのリスペクトがあったこと」を挙げる。
明氏から激しく叱咤された日も、自宅に戻ると「気にするなよ」と電話がかかってきた。また旭人氏自身、「陰で父の悪口を言わない」というルールを決めていた。
明氏は、2015年に社長を退いた後、会長職には就かなかった。その理由は「俺が残ったら、社員がみんな俺の方を見ちゃうから」だったという。
仕事に関しては容赦なく意見を交わすものの、相手の人間性は決して否定しない――。この親子の信頼関係が、事業承継を成功に導き、2021年の過去最高売上げにつながっていった。
前編|「ジャパネットたかた」を名物社長から継いだ2代目息子/TV出ずとも過去最高売上を更新、鍵はカリスマ脱却
ジャパネットホールディングス
1986年、髙田明氏が実父経営の「たかたカメラ」から独立する形で「たかた」を設立。90年にラジオショッピング、94年にテレビショッピングを開始し、明氏自らが出演する通信販売番組で全国区になった。99年に社名を「ジャパネットたかた」に変更。2007年にはジャパネットホールディングスを設立し、ジャパネットたかたは子会社となった。09年からはV・ファーレン長崎(現J2)のスポンサーとなり、2024年10月14日に開業する「長崎スタジアムシティ」で民間主導の地域創生事業を展開している。
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