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「セガ」と「サミー」の経営統合の裏に、若い2代目の苦労 異なる社風に飛び込み、セガのスマホゲーム領域を開拓

2004年10月、パチンコ・パチスロなど遊技機のメーカー「サミー」と、ゲームメーカー「セガ」が経営統合して誕生した「セガサミーホールディングス」。時価総額4600億円の巨大企業を、30代という若さで父親から事業承継したのが、里見治紀氏 代表取締役社長グループCEO(45)だ。どのように、多様なエンタテインメントを手掛ける大企業のかじ取りを引き継いだのか、里見氏に聞いた。

業界のトップ同士が経営統合して誕生した巨大企業

——セガサミーは、どういう会社ですか?

里見 「感動体験を創造し続ける~社会をもっと、元気にカラフルに。~」を Mission/Purpose に掲げ、それに合致するビジネスはどんどんやっています。

最近は、「サンロッカーズ渋谷」というバスケチームを日立から引き受けました。やっぱりライブのエンタメのスポーツって、一番感動を生むコンテンツの一つです。「感動体験の創造」という意味では、我々としても手がけたいということです。

まだ既存ビジネスも深掘りしますが、新規ビジネスは「感動」というテーマがあれば、どんどんやっていったらいい、海外にも届ける、というのが現在の我々の目標です。

——セガサミーは大企業ですが、それ故に里見さんの場合は「お坊ちゃんが気軽に後を継がせてもらったんでしょ」みたいなイメージを持たれる面があったのではないですか。

里見 事業承継を巡るインタビューって、共感されないでしょう。「2代目3代目は継ぐのが当たり前」とか、「うらやましい」としか思われないから、承継を巡る心の葛藤ってあまり描かれないし、共感されないんです。「2世あるある」だと思いますが、自己のアイデンティティを確立するのが難しい立場ですね。

——どういうことですか?

里見 幼いときからずっと、自分の名前ではなく、「○○家の息子」とか「○○のせがれ」とか、代名詞でしか呼ばれない経験をしています。これが嫌で、家業を飛び出す人もいるし、境遇に甘えて漫画とかに出てくる嫌な2世になっちゃうような人もいるし。結構、若いとき誰もが葛藤するんですよね。

私も若いときはそれにぶつかりました。父親の会社に入ったら、同じ物差しで計られるんで絶対かなわない。そう考え、違う物差しを模索しましたが、スポーツやミュージシャンなどの才能はなかったので、結局ビジネスの世界で父親と戦おうと思いました。


証券会社で起業のタネを探し、ゆくゆくは起業したかった

サミーは、1975年にサミー工業として設立された

サミーは、東京板橋の小さな町工場として始まった。父・里見治氏は、一代でサミーをパチンコ・パチスロを始めとした遊技機のトップメーカーにまで押し上げた。工場横の自宅で育った息子・治紀氏は、自身でも起業を志し、大学卒業後は証券会社に入社した。

——当時の国際証券に入社したのは、起業するきっかけをつかむためですか?

里見 そうです。いろんなビジネスや経営者を見て、自分はどういうビジネスを立ち上げたいのか探すために入ったのが正直なところです。だから、父親の会社を継ぐための準備というつもりはありませんでした。

——お父様から後継の打診などはあったのですか?

里見 そんな話は一度もなかったですね。証券会社に入社するときも「どうせなら外資系がいいぞ」と言っていたくらいです。外資系は試験で落ちて行けませんでしたが。

世界的なゲームメーカーと合併するための緩衝材に

——証券会社に入社して3年後の2004年、「サミー」と「セガ」の合併話が持ち上がりましたが、それに大きく関わったそうですね。

里見 はい、合併のアドバイザーになったのが、当時勤めていた証券会社でした。証券会社側も気を遣ってくれて、アドバイザリーチームの末席に入れてもらいました。

すると、当時のセガの社長から「携帯番号を教えてくれ」と言われ、夜に電話がかかってきました。「君、里見の息子だろう。親父にこれを伝えてくれ」と。

何かというと、「社名は譲れない。セガサミーじゃだめだ。合併後は会社名をセガにしたい」とか、「持ち株比率がなんだ」とか。本来偉い人同士で交渉する話を、当時23、4歳の私がセガの社長とうちの父親の間に入って進めていました。

——どういう気持ちでしたか。

里見 合併を成就させたいなっていう気持ちがありました。一方でセガという社名にして合併したらサミーが消滅してしまう。そのときの父親の気持ちもわかるなと。

——セガ側は名前を譲らないわけですね。

里見 セガは、当時経営が苦しかったとはいえ、世界で知られている知名度も歴史もありました。そこがやっぱり一番譲れないポイントだったと思いますが、父親的にはサミーの名を残したかったのです。サミーの社名は、「里見」から来ていますので。

——合併はどのように進んだのでしょうか。

里見 合併自体はうまくいかなかったんです。いろんな条件や意見があったりして、1度は新聞発表しましたが、破談したんです。そして、半年後に合併ではなく経営統合という形になりました。

——株式を取得し、純然たるセガとサミーの会社になったのですね。

里見 そうです。そのとき初めて、私は父親の会社を客観的に見ることになりました。

父から「来い」とは言われませんでしたが、セガとの統合もあり、当時のサミーの最年少の役員から「サミーとしてもチャレンジしていく時期だから手伝ってくれ」と説得され、私はサミーに入りました。

だから、会社を再建しようとか、社長になろうという強い意志というより、説得されたから1回入るという感じでしたね。

父親の治氏は、息子の転身をどう思ったのか

サミーを1代で築き上げた先代社長の里見治氏は、「息子が『お父さん、俺もサミーに入るよ』って言ったときは、後を継ぐ気が起きてきたんだなと思い、正直言って嬉しくはあったんですよね。『嬉しい』とはあいつに言わなかったけどね」と振り返る。

そして、「サミーに入るんだったら、将来会社を承継するために、会社全体をきちっと掌握できるよう様々なポジションを経験させたほうがいいなと思いました」。先代社長は承継を見据えていた。

実際に、里見氏は「サミー」から「セガ」にすぐ異動する。

——まず入社したサミーはどのような会社でしたか

里見 サミーは、まさに父親が作った会社で、右向けって言ったら全員が右向く。私が後継者だろうと思って良い意味も悪い意味も含めて気を遣ってくれる文化でした。でも、私はサミーに1年いた後、すぐセガに異動したんです。

——セガはどのような会社でしたか

里見 本当お手並み拝見って感じでした。2世のちやほや感もまったくなく、サミーの社員が見たら「なんであんな気遣わないの?」とびっくりするぐらいの感じです。私は逆にありがたかったですね。

その後、セガも1年弱しか在籍せず、セガのアメリカ拠点に異動になりましたが、非常にいい経験でした。

気を遣われない環境で立ち上げた新規事業の失敗と成功

——里見さんは2012年、セガサミーグループの「セガネットワークス」の代表取締役社長CEOに就任していますが、どのような会社でしょうか?

里見 スマートフォンゲームに特化したゲーム会社を新規で立ち上げました。社内ベンチャーですね。

当時、セガの社員はソーシャルゲームを重要視していなかったんです。「あんなのはゲームじゃない」と。

だから、「うちが(ソーシャルゲームを)やるぞ」と言っても、セガの社員は「やりたくない」と反発しました。

——セガというと、どうしてもゲームセンターやセガサターンなどのイメージですね。

里見 そこで、「スマホもどんどん性能が上がるから面白いゲーム作れるようになるよ」と開発者を説得して分社化しました。しかし、1年目は計画未達の大赤字だったんです。

社内は、「ほら見たことか」みたいな雰囲気でしたが、全社員を集めた会で私が「計画未達の大赤字で申し訳ない。でも、やっていることは間違ってないんで、広げた風呂敷はたたみません」と宣言して、全員に転籍をしてもらいました。

——出向中の社員を、子会社に転籍させたのですか?

里見 そうです。1年目が大赤字の計画未達で、やっぱり背水の陣で腰を据えないと反転しないと思っていました。もちろん当時の役員はみんな反対しました。「そんなことしたらみんな辞めちゃう、家庭の事情もある」と。「赤字の会社にはローンが下りない」「俺はセガに入ったんだ。子会社じゃない」とか社員の反発もありました。

それでも「いや、みんなで同じ船に乗らないとだめだ」と言って、最終的には大半の方に転籍に合意していただきました。そして2年目にヒット作が出てJカーブを描いて黒字化していきました。

——セガネットワークスを大きな事業に育てた実績で、社内の雰囲気は変わりましたか。

里見 「お手並み拝見」だった雰囲気がガラッと変わりました。セガネットワークスを立ち上げた当初は、私が毎月スピーチしても、全然シーンとしていたんですよ。でも、ヒット作が出て「単月黒字化しました」と言った瞬間、ドバッと拍手が出ました。会社が変わり、本当に打てば響く組織になったと感じました。

いろいろな役職を兼務することでわかった経営の本質

——経営者としてどのような心がけをしていますか。

里見 私はすべてのビジネスで素人です。会社のなかでパチンコ・パチスロやゲームに誰よりも詳しいわけじゃないです。過去、アニメの会社の会長もやっていましたけど、アニメに精通していることもないです。他に、リゾートホテルの会長やバスケチームの会長もやりましたけど、どれも全然詳しくないんですよね、現場のプロに比べれば。

でも、経営の本質は、いかに人の心にやる気を起こさせてあげるかです。プロが現場にいるんだから、私は現場のプロよりプロになる必要はありません。そういう意味で、私は割り切って経営に徹しています。いかにチームを作り、やる気になってもらうかです。

セガネットワークスを立ち上げた頃から、父親と私の間にはまだ何人も役員がいたんですけど、やっぱり自分が一番親父のやりたいことを実現できるんじゃないかなと思うようになりました。「社長を私がやる、継ぐ」というのを意識したのは、その頃からだと思いますね。

里見治紀さんプロフィール

1979 年 1 月 11 日生まれ。明治学院大学国際学部卒業。大學卒業後、国際証券へ入社。
2004 年にサミーに入社。2005 年からセガに出向し、米国拠点でデジタル配信ビジネスを立ち上げる。
2012年米UCバークレー大学経営大学院(MBA)を卒業後帰国し、スマートフォン用ゲーム開発の社内ベンチャーを立ち上げ、CEOに就任。2017 年にセガサミーホールディングスの社長となり、社内の改革を推し進める。現在、セガサミーホールディングス代表取締役社長グループ CEO、セガ代表取締役会長 CEO、サミー代表取締役会長 CEO などを務める。

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賢者の選択 サクセッション編集部

賢者の選択サクセッションでは、⽇本経済の課題解決と発展のためには、ベンチャー企業の育成と併せて、これまでの⽇本の成⻑を⽀えてきた成熟企業∕中堅‧中⼩企業における事業承継をフックとした経営資源の再構築が必要であると考えています。 ビジネスを創り継ぐ「事業創継」という新しいコンセプトを提唱し、社会課題である事業承継問題に真摯に向き合うことで、様々な事業承継のケースを発信しています。 絶対解の存在しない事業承継において、受け継いだ経営者が事業を伸ばす きっかけとなる知⾒を集約していきます。

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